小さい頃から「絵が上手」って言われた。保育園で権力持っていた人気者の子に「泣き虫だけど絵が上手だから仲間に入れてあげる」て言われた。
確かに今見ると5歳にしては上手だった。中学生高校生と美術の絵は貼り出されるのが当たり前だった。でも兄の方が絵も彫刻も上手かったし勉強はできなくて天才肌だった。僕は勉強が出来たから勉強に期待された。
本ばかり読んでいたので作家になりたいと思っていた。でもお話を書いてみても何か設定とイメージはあるのだけど起承転結が無かった。作家には明らかに向いてなかった。勉強して大学に入ったけど物理学を専攻したのに物理学者にもなれなかった。大人になってから、僕より絵が上手い人はたくさんいる。もう少し「やりたいこと」で「仕事につながる可能性があるもの」を磨けばよかった。父は私が研究者になると思っていたから他の仕事のことがわからない。結婚も望まれてなかった。致死量ドーリスから抜け出したものの、自分が何をしたいのかわからない。
5歳の頃に家族日記を書いていた。家族日記というのは、家族で持ち回りで一人ずつ日記を書いていくものだった。おかしいのは父も母も兄も私のことを書いていたこと。じろちゃんは冷蔵庫を開けたら卵を持って走り出した、じろちゃんは苺を見て「今日の苺は迫力が無いね」と言った、私は私でもちろん私の今日保育所であったことを書く。5歳だけど文章が書けた。オチで笑わせるようにした。家族の主人公は私だった。兄は8歳しか離れてないのに保育所の送り迎えもしてくれていた。
その後、なぜか私単独の日記になり中学生頃まで日記書いてる。しかも途中から暗号交じりになっている。当時私の中でだけ流行っていた子音と母音を組み合わせた簡単な暗号。
あの日記、まだ実家にあるかな。後ろのページに有名な詩人の有名な詩が乗ってた。「ミラボー橋」とか。なんかかっこよく見えて切り取って違うノートに貼ったので、無くなってしまった。