ついうっかりアレな発言を眼にしてしまい「は〜?!?!何言ってんのこの人…」と思って改めて香港におけるペスト政策の歴史を調べたら顎が外れそうなほどひどい。
そりゃ暴動が起きるわけだ。
やっっっっっっっっば って声が出たよね。「客の○割がアジア系だった」とかも外務省に報告していたらしい。共同監督のひとりが「上映禁止になるかもと不安を感じた」というの、そりゃそうだよと思う。誇張じゃなく、ガチの難癖つけてもおかしくないなって思っちゃう。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/352855?rct=culture
製作者は史実よりも“面白さ”を選んだのか?ーー「福田村事件」再考
https://salvi.blog.ss-blog.jp/2024-09-08
「福田村事件」を“映画化”する際に、フィクションが入るのはやむを得ない。とはいえ、人々をミスリードするようなことは絶対避けなければならない。
この映画では、香川県から福田村に来た行商人の一行を、自警団や在郷軍人たちが取り囲んだ際に、大量殺人の最初の口火を切ったのが若い女性であったように描かれている。彼女は東京の本所に出稼ぎに行った夫と連絡が取れなくなっていた。もしかしたら朝鮮人に殺されたかもしれない、という憶測と憎しみで、彼女は行商のリーダーを背後から鳶口の一撃で殺す。この殺人をきっかけに、在郷軍人や自警団たちは、まるで何かに取り憑かれたように、行商の一行に対する無差別な殺戮を始める。
しかし、実際の事件で検挙された犯人の中に、女性はいないのだ。女性が最初の一撃を下したというのは事実に反する。史実を明らかに歪めたこの場面が、観客をミスリードする可能性もある。なぜ製作者は、女性を最初の犯罪者に仕立て上げたのだろうか?製作者は、史実よりも、 映画を“面白く”することを優先したのではないだろうか。確かに、凶暴な自警団や在郷軍人よりも、若い女性の鳶口の一撃を合図に大殺戮が始まるほうが、画面としてはより衝撃的で、“面白く”なる。
差別問題はこの映画の最も重要なテーマだが、この場面はかえって女性差別やミソジニーに加担するものではないだろうか?史実を題材とする映画で、例えば似たような場面で、もしも史実を歪める形で特定の人種的・民族的マイノリティーが犯罪者に仕立て上げられたならば、非難ごうごうとなるはずだ。しかしなぜか、本作に対しては、そのような非難はあまりみられないようだ。「福田村事件」の製作者にとっても、日本の多くの観客たちにとっても、女性は、社会で常に抑圧され差別されてきたマイノリティーとして、みなされていないのかもしれない。本作ではほかにも女性の描き方で首を傾げさせる場面が何か所もあったが、いまはおく。
リン・ユーティン林郁婷選手の件、スポーツもオリンピックも嫌いなのに頑張って調べたけど、台湾がスポーツナショナリズムで盛り上がりまくっているので正直萎えてしまった。
選手の凱旋パレード、軍用車使ってるし。
国家代表選手はいろんな面で国からのサポートを受けてるわけだし、「国旗を背負って国際大会に出る」という帰属意識が気概として背中を押すというのも分からなくはない(共感はしない)ので、オリンピックがナショナリズムに利用されるのは致し方ないのかなとも思う。
でもそういう「国民としての一体感」みたいな風潮やノリがものすごく苦手。
林郁婷選手については知れば知るほど好きになってるけど。
https://sports.ettoday.net/amp/amp_news.php7?news_id=2798862
「正義」とか「悪」とかを実体化して語るところからして落とし穴で、担い手である人間が消える。前掲の関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺にしても、ある人間たちが・特定の信念にもとづいて・虐殺したというしくみを、抽象化して文学的修辞におとしこむのよくない。
「「やつら」を懲らしめようとする正義の暴走です。関東大震災の時の朝鮮人虐殺が、まさにこれでした」
https://www.asahi.com/articles/ASR9X3SH1R98UPQJ00J.html
佐藤冬樹『関東大震災と民衆犯罪』を読むと、自警団構成員は「殺してもいいという国家のお墨つき」が出たとして倫理のリミッターを外していたことが指摘されている。
「民衆は国家の後ろ盾を強く意識し、「公許の殺人」を犯したと認識していた」
「国家との間には、前線の兵士同様に「殺しても良い」という黙契が成立していた。当初の経緯を考えても、彼らがこの黙契を信頼するのは当然であった。言い換えれば、彼らは町や村を代表して、朝鮮人に「報復」を加えた」(以上、上掲書)
「俺がやる」と「やってもいいらしいからやる」との違い。「せっかくだから殺した」的な証言もあった。
「正義の暴走」と(いささか紋切り型に)抽象化する前に、国家という権威が許せばぶっ殺してまわる根性をえぐり出したい。
(2023年10月3日のツイートを再掲)
最近疲れすぎててTwitter見てる余裕がないし件の記事も読む気がないので「正義疲れ」みたいなのもよくわからない。
「リベラルなんか嫌い」の言い換えだと思ってるんですけど、合ってますか?
ほんと関東大震災時中国人虐殺ってのは多くの方の視界には入ってないんだよね。
ヘイトクライムを語る時に関東大震災時朝鮮人虐殺からいまの北関東で行われている悍ましい憎悪煽動まで、それが延長線上にあるという話をしたとして、その事自体はまったく否定するつもりはないのだか、そこに嫌中や関東大震災時中国人虐殺は入ってこない事がママある。
知らないのか巻き添えという認識なのか、いずれにせよ視界には入ってない。
ここにね、わたしが関東大震災時中国人虐殺に拘る理由がある。
でもねえ、あんま中国人中国人言ってると、愛国心から来る行動なのかとか、民族に誇りを持ってる人なのかとか、別に否定的な意味ではなくともそんな感じに思われているんじゃないかと心配になる。
わたし、いかなる国家に対しても「愛する」という意識を持つ事を拒否してますし、同様にいかなる民族に対しても「誇り」とか「愛する」とかいう意識を持つ事も拒否しているので、そう思われるのは非常に悲しい。
なので、わたしが拘る必要がないように関東大震災時中国人虐殺とかもっと取り上げて欲しい。
8月25日はロヒンギャ虐殺追悼の日。
ミャンマーでロヒンギャは国民として見なされて来なかった。
なのでバングラデシュの難民キャンプで多くが暮らす。その年月7年。
長引くあまり、反ロヒンギャ感情が高まるが、ミャンマーの情勢悪化で帰る目処立たず。
国民と見なされてこなかったバングラデシュに暮らすロヒンギャ難民は、今はミャンマー軍に劣悪な環境下で強制徴兵されている。
長引く戦乱の中でそれをむしろ利用しようという者たちも現れてきた。
難民キャンプは隣国バングラデシュの中でも貧困地域である。
彼らを支援している人々は、自分たち自身も医療にかかることのできない程度に貧困であり、孤立しがちだ。
海外NGOがこのような支援を行うホストコミュニティを孤立させないことに意味はある。
私が2019年に香港で体験したこととだいたい同じだなと思った。
https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2024/08/post-58_1.php
件のダメ彼氏は香港大学らしい(他の記事に書いてある)のだけど、香港大学では大陸からの留学生にひどい嫌がらせがあったらしく、夏休みが終わっても戻ってこない留学生がたくさんいたそうで、それについて香港大学の学生は「空気がきれいになった」と言っていたらしい。
中文大では校舎内の落書きを消そうとした清掃員を学生が取り囲み、散々怒鳴りつけるなどの嫌がらせをしたため校舎は荒れ放題だったと聞いた。
中文大は後にデモ隊に占拠されたが学生以外の部外者による破壊活動が目に余ったため、学生会が退去を求めた。デモ隊はその後理工大学に立てこもり大変なことになるわけだけども。
そのとき「中文大は意気地がない、クソだ」と言ってた人の息子が去年中文大に受かって大喜びだったときは正直どんな顔をしたらいいのかわからなかった。
https://note.com/awokozaizheli/n/nb46d7b29c17b
ここに書かれてる「美心(マキシム)」グループの話なんて突然スタバや元気寿司含む系列の店が襲われだして、ネットで調べたら創業者の娘(現在はグループ経営から離れてる)が警察支持発言をしたからという理屈で標的になった。客がいても平然と店を壊し放火していた。そのうちスタバは看板を隠しバリケードの中で営業するようになった。
吉野家はまた別の理由で、FBに警察をおちょくるような内容のポストをしそれがデモ隊に大ウケ。しかしその後ポストは削除され、社長が警察支持を表明したため標的となった。
中国銀行も交通銀行も建設銀行(どれも中国資本)は破壊されて焼かれた。上海商業銀行も破壊されたけど、「あれは台湾資本だ」と訂正が入り翌日入口に大きく「Sorry」とスプレーされていたな。
MTR(地下鉄)は当初デモ隊に協力的だったが元々交通インフラとして政府が一部資金提供をしており警官を輸送したことがきっかけで「裏切った」と言われ無惨に破壊された。中文大學の最寄駅(大學站)は3ヶ月くらい使えなかった記憶。
福建系住民が多いノースポイント北角にデモ隊が入ったとき、住民に抵抗されたので福建系レストラングループも破壊の対象になった。
私は香港人の友達から「お前の広東語は國語(普通话、いわゆる標準中国語)の訛りがあるから、外では絶対に広東語を喋るな。広東語や國語で話しかけられても反応するな(大陸人だと思われると暴行されるから)」「人が集まってたらそこから離れろ」「スマホを手に持って歩くな。必ずカバンにしまえ(写真を撮ったと疑われると暴行されるから)」と注意された。
「日本人だとわかれば平気じゃないの?パスポート見せたらダメかな?」と言ったら「そんなもの見せたら写真を撮られてテレグラムでばら撒かれる。パスポートは持って歩くな。IDカードも見せるな、絶対だ」と言われた。
毎日日が暮れる前に家に帰るのが大変だった。地下鉄の駅は標的にされ、ランダムに破壊されるので地下鉄には乗れない。バスが途中で止まらないように祈りながら乗っていた。でも何度か「これ以上進めないので降りてください」と放り出された。
「戦争ってたぶんこんな感じで、全体像が全く見えないまま、いつどこで自分が被害に遭うかわからない不安を抱えて逃げ惑う日々を過ごすんだろうな」とぼんやり思った。
九龍の魔女