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BT有料部分より引用:"「被爆国に暮らす人間として、その被害感情をもとに原水爆の存在を否定する。それ自体は正当です。しかし、気になるのは『唯一の被爆国』であることを強調し、『日本人を舐(な)めるな』的な批判や怒りが見受けられる点です。核なき世界を呼びかけながら、米軍の『核の傘』で守られ、核兵器禁止条約を批准していない日本政府のあり方や、一部の日本の政治家たちが訴えている核シェアリング(同盟国との核共有)や核武装の必要性などの言説を思い出すと、『日本人を舐めるな』的な大見得(おおみえ)をきることはできるのかなあと疑問に思います。(中略)今回のように分かりやすい表象には腹がたちやすいですが、核兵器の恐怖の前にあいかわらず屈従せざるを得ない私たち自身は、今のままでいいのでしょうか。そうした内省を媒介とした批判こそが求められていると思います」"

自分たちが核の傘(米国の庇護)の下にいて、核兵器の廃絶に取り組んでもいないことはきっちり自省しないといけないことなんだよなぁ。

「唯一の被爆国」という言い方も私は嫌いで今はきっちり避けてるけど、10〜20年前だったら言っちゃってたかも。

原爆のことに関しては、先生の体験を聞いて身近なことに感じたから被害者側に心を寄せてしまうし、それが必ずしも悪いこととは思っていない(感情を伴わなければ実感がないし、改めて知ろうとする気にならなかったかもしれない)けれど、感情が強いと対局的な視野はあまり持てなくなる。
そのあたりのバランスは難しいところ。

でも私は被害者(被曝者という呼び方にも躊躇がある)やその家族・身内が怒りを覚える気持ちを切り捨てたくはないのだよなぁ。
私自身本当にカチンと来たし。
「怒り」はすごく大切。自分や身内のことで怒ってる瞬間は大きな視野で考えられないけど、感情が落ち着いたらいろんな視野を取り入れて考えるという方法しか取りようがない。
(それは私が大義に踏み躙られ、蔑ろにされた経験があるからだろうけど)

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