The Bearのシーズン2、やっぱずっともやもやしていて、それはカーミーが人間として成長するためには、特定の大切なひとりの女性を愛することが必要であるかのように描かれたためなのかな、とぼんやり思う。彼女がmanic pixie dream girlだろうとなかろうと、あのすてきな仲間たちと信頼しあって生きるだけでは人間には何かが欠落しているかのように扱われてしまうんだろうか。プライベートと仕事はそうも簡単に分けられるものだろうか、愛か、仕事か、ふたつにひとつ、というものでもないと思うのに。親密な、一対一のパートナーシップを育めてこそ、ひととして深化するみたいな、そういうのってよくある表現だし、もちろん現実でもそういうふうに言われたりするが、本当にそうか?と疑われることがないよね。それが嫌なんだよなあ。彼が昔のまま、頑なに自分の殻に閉じこもって、周りはどんどん成長していく、その隠喩的表現が最終話ならば、もっと様々な人間関係の中でそこからの解放を見せたっていいのに。ひとりのひととつがえないひとはだめだ、って表現を増やさないでほしいし、あの彼女とうまくいけば、それでなんか変わる?みんな既にカーミーを愛してるのに。