祭りの後。急に来る賢者タイムのような時間。

Somebody SomewhereっていうHBOのドラマをちまちま観てるけどなんか…いい…カンザス州の故郷のまちに帰ってきた中年女性が姉の死を受け入れながらコミュニティで周囲の人々や自分の人生と折り合いをつけていくっていう地味なおはなしなんだけど毎回なんかじんとする。クィアコミュニティの感じもよくて

のて さんがブースト

フォロワー‼️‼️‼️‼️
配信はまだやけど、ノンバイナリーでAセクの主人公が攻略対象との恋愛を回避して友達になるゲーム見て‼️‼️‼️‼️‼️‼️

store.steampowered.com/app/170

のて さんがブースト

ノンバイナリーのアンソロジー出るみたい。
akashi.co.jp/book/b636942.html
「10代から50代まで、職業も人種もジェンダー表現もさまざまなノンバイナリーたちが、自身を率直に語る回想録。」

かわいい服の展示会にいったら、むかし雑誌でみてたスタッフのひと(読モ的な方…)にめちゃくちゃ褒められて、いまそのひとのインスタストーリーに自分の写真がのっている…40万人近くに…でもよく似合っててなかなかかわいいと思う。いい買い物したね。すごい気のいい人々が作っている服だったな。

ミッドナイトクラブも完走した。ジュブナイルの恋愛はなんかかわいいな…と受け入れられる…

アッシャー家いま3話。でもなー、他でも言ったけど金持ちは奇特で酔狂なので即ちクィアでもおかしくないだろうみたいなエクスキューズがないとヘテロノーマティビティやモノガミーを逸脱できねーのかなみたいな気になった。そういやカミーユ役でフラナガン監督のパートナーKate Siegelはバイなんだぜ

のて さんがブースト

ドラマ『アッシャー家の崩壊』感想

実質、マイク・フラナガンによるエドガー・アラン・ポーの二次創作。詰め込みまくりです。ひとつの大きな物語世界観の中で「あの作品」や「あの作品」が顔をだしてきます。あとフラナガン作品の中では過去最多のクィアな登場人物数です。作中で登場する主要人物の7~8割はクィアなセクシュアリティと思われる人たちでした。無惨な死が溢れていますけど…

👇 ネタバレあり
cinemandrake.com/the-fall-of-t

社会構築主義のなかで個人の自立のことを考えたい。関係性を閉じたくない。

独立して存在してるってのはちょっとよくない言い方

あと恋愛関係で、お互いがお互いのことだけみてるような間柄には惹かれなくて…相手が即ち世界、みたいな、離れたくない、ずっと一緒にいたい、よそ見しないで、こっちを見て、みたいなのが、あんまりわからない。昔はもっとわかったような気がするが。これはもう、自分の在り方と深く結びついていて、フィクションでもそういうものはあんまり求めなくなってしまった。たまには相対して、お互いのことをみててもいいのだけれど、基本的には同じ方向を向いててほしい。見えてるものがちがっていてもいい。

世界のなかに独立して存在してるひとりのひと同士が、他のひととも関わりを続けるなかで、互いにタイミングが合って、肩を並べて同じ時空を共有している、でもこれは永遠に続くわけじゃなくて、いつ終わるかもわからない、でも今この瞬間にあなたといるのは紛れもない事実で、この出来事や思い出は決してなかったことにはならない、みたいなのが理想

うーん、一目惚れとかっていうのは、友愛とは違うものだよね

それは恋愛とどう違うのかという…?

気が合うっていうのは…趣味とか考え方とか全然違っても、なんか波長が合ったりとか、繋がりを感じるとか、相手に対してこう…何かしらのコミットメントをしていたいみたいな感じ

恋愛的な好きって一般的にはでも気が合うとかじゃないよね

好きなひと、というのが、またね… 最上位に好きなひとってことだよね…?でもどのひととの関係もまったく違う文脈の網目のなかに位置するものなのに、いちばんていうのがあり得るのかな… と思ってしまうんだよな… いちばん気が合うひと、とかなら話まだわかるんだけどな… 個人的にはそこが重なってると思う

進撃読み返してて、アルミンとジャンとかそういうのあるならみたいな…って思った。ミン、ジャンのことすごい悪人づら呼ばわりするじゃないか…このふたりはすきなひともいるし、ぜったいに恋愛とかそういうんじゃないんだよな。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。