小田さくらさんが卒業したらいよいよ私の中のハロプロが一旦幕を下ろしてしまう。それでもハロプロは続いていくが…(そうであってほしいが…)
【やめよう、パスワードの使い回し】
複数のサイトで同じパスワードを使い回すのはやめましょう
パスワードは人間が覚えるよりもシステムに覚えさせた方が安心です
iOSのiCloudキーチェーン、AndroidのGoogleパスワードマネージャーなど、OSに初期装備のシステムに強力なパスワードを覚えさせましょう
あと2回見てもやっぱり眞人パパの”無理解”っぷりがすごくて本当に最高だった話
眞人くんが自分で頭カチ割って帰宅したとき、パパめっちゃ心配するんだけど眞人の話を全然聞いちゃいないしまったく伝わらなくて眞人くんが「こいつわかってねぇな…」みたいな顔するの本当に笑う。眞人の創作の意図がパパにはまったく伝わらないわけで、つまり悪意に対して無頓着。でもこの悪意に満ちた生き辛い世界において、生きることが苦しくない人ってそういう人じゃん。色々考えないで日本刀持って振り回せる人のほうがそりゃ生きやすいでしょっていう。またこの無理解な父親に木村拓哉の声が合うこと…!!子供を愛しているけど子供の悪意、クリエイティビティにはまったくの無頓着である眞人パパ。眞人パパは生きる力がめちゃくちゃ強いし、多分眞人パパはの眞人母のことも心から愛していたしその上で夏子のことも心から、臆面もなく愛せる、そういう男。そんな眞人パパが軍需工場の主なの、めちゃくちゃ良さがあるし、眞人くんは兵器のことを「美しい」と言う。パパはそんなこと言わないけど、眞人君は兵器に創作性を見ていて、それは業だな~という感じがした。是と描いているようには感じなかったけど、美しいと感じてしまうのは業なのだという感じはした。
アオサギは悪意の象徴かなと思った。これは生と死の話としても想像と創作の話としてもで、悪意は生きる上で切り離せないものだし(だから最後に大叔父は元の世界に戻る眞人にああいうことを言うわけだし)、創作にも悪意は付き物である。己の悪意と向き合って、拒絶するか共生することを選ぶか。眞人は友達になった。みたいな。
インコ
塔で暮らすインコは安定はしているけどその暮らしはもう持たない。なぜなら塔が崩れるから。塔を自分で築くことのできないインコは創造性を持たずに、他者のそれに寄生する存在なのではと思った。オモコロの人たちはそれを(ジブリ論と読んだときに)スタジオジブリの社員であると解釈していたけど私は単純にオタクというものは皆インコなのではないかと思ったのだった。人の塔に住めず、外でわらわらを喰う者は創作者であり、インコはそれをしない(できない)。創作には大なり小なり人の「悪意」が織り交ぜられる、インコはその悪意によって肥大しながらも、悪意に無頓着である。自分が包丁を研いでいることに対しても特に何も思っている様子はない。自省的であるペリカンとは違い、ただすべてを寄こせと要求する強欲な存在である。インコ大王はその中で頭一つ抜けている存在で、しかし自分で塔を積み上げようとするけど結局はできない。癇癪を起す。インコ大王に出来ることはヒミを連れて石の悪意を打ち消すことだけで、それは他者の創作性に依存した行動に過ぎない。頭でっかちに育ったインコの末路。
胃腸が終わる前は君たちがどう生きるかの2回目を友人と見たんだけど、オモコロウォッチの感想回を見てから初めてもう一度見て、とはいえ私はジブリ論(駿論)として語るにはジブリのことを知らなすぎるので死と再生の話であるという最初の印象に加えて想像と創造の話であるという理解と解釈が自分の中で極まった。
1回目見たときちょっと理解できなかった(それはそれとして楽しんだからよかった)わらわらのくだり、あれ最初は普通に生まれる者とそれを喰う存在、命は簡単に生まれるものではない(だからこそ上に生まれたものは尊いのだ)的なことかと思ったけど、わらわらを形になったクリエイティビティであると考えたときに、多くのそれは形に出ないで死んでいくんだ…ととても苦しい思いになったしわらわらを喰うしかないペリカンは、クリエイティビティを喰って生きるしかない名もなき創作者の末路のようでもあった。塔の中に巣食って生活するインコたちは安定を持っているのに、ペリカンはそうではない。どこへ飛びあがったも結局そこへ行きついてしまうし。創造の火に焼かれたペリカンは惨めに死ぬけど、眞人はそのペリカンを埋葬する。そこには哀れみと同時に敬意があった。