ヴ愛のモクマさんの『肯定』がチェズレイにもたらしたもの 

他のフォロワーさんのポストで思い出したけど、モクマさんのヴ愛の「ひとくちに愛というには〜」のセリフがすごく好きで、関係ない第三者から見たらサティアの行動って色んな事情が重なったとはいえ、酷い母、愚かな女と評されても仕方ないし、それもチェズレイはわかっているけど、親と子ってそういうのでは切り離せない感情で結びついてて、「酷い母だったのにそれでも母を想ってしまう自分」に葛藤してしまうし、それを普通なら「あんな母親なんて忘れて自分の人生を生きろ」と言う人がほとんどなのに、モクマさんがあのセリフでチェズレイの母への愛も、サティアの根っこにあったチェズレイへの愛も全肯定してくれたから、チェズレイは「母を想う自分を肯定してもらえた」という気持ちで救われたと思うんだよね。→

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ヴ愛のモクマさんの『肯定』がチェズレイにもたらしたもの 

自分が娘という立場で同じように母に複雑な思いを抱き、いまは親として子を育てる立場で思うのは、人は追い詰められたらまともな判断が出来なくなるし、どんなに愛していても手放してしまいたくなる瞬間があるということで、自分と母のことを思い出すと、チェズレイがどんなにサティアに酷いことをされたとしても、わずかでも感じた母の愛に縋りたくなる気持ちもわかるし、育児で追い詰められたときのこと思い出すとサティアの気持ちが痛いほどわかるし、それを周りに否定された時(母を悪く言われたり、否定されたり、子育ての愚痴をこぼして叱られたり)に「本当の当事者しかわからない」と思いながらも、そう考える自分は間違ってるんじゃないかと思うことがあったから、こうやってそこに確かにある『愛』を肯定してもらえる幸福をチェズレイはモクマさんからもらったんだな……としみじみ思った。人はいいも悪いも全て肯定してもらえることで自分を愛し、見つめ直して、誤った行動をあらため、その先の人生をよりよく歩むことのできるものだと思うし、そうされることで私も立ち直ってきたから、私は人の痛みに寄り添うことを生涯忘れたくないなと思う。

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