犬と息子と私(ただの愚痴である)
先に行っておくと、参加した親族は全員息子の障害を知っていて、もう何度も旅行や誕生日会などで顔を合わせているし、息子が犬が苦手なこともよく知っているので、基本的に室内でケージから出すことはなかった。だが今回は貸別荘に滞在し、間取りも広いので義兄たちも飼い犬をケージから出してあげたかったのだろうか、リードを柱に繋ぎ室内で多少動き回れるようにしていた。息子は犬がいる場所を避けて移動し、鳴き声にパニックになりかけたときはこちらから大丈夫だからね、と声を掛け続けて落ち着けた。彼なりに辛抱強く頑張って、同じ空間にいれるようになった。偉かった。けれど、周りの大人たちが飼い犬のリードを外したいと言われた。慣れない環境に連れてこられ、ストレスからか小さい唸り声をずっとあげ、キャンキャン吠え始めたのだ。「自由がないから吠える」のだと。周りの大人は私に何も相談せず、息子に「大丈夫だよね?」と聞いた。大人の言うことは聞かなきゃとわかってるから彼は「大丈夫」と答えた。私は成人した親族のヒエラルキーの一番下にいた(義両親、義兄夫婦、旦那と私)ため、咄嗟に止めることができなかったし、旦那を睨むことしかできなかった。
犬と息子と私(ただの愚痴である)
私は犬が好きだし、その飼い犬とも何度も遊んだし、吠えそうになるたび身体を撫でたり、そばで時間を過ごしていた。それはその飼い犬から息子への意識を逸らそうという意図もあったが、単純に犬が好きだからだ。ホールに戻った時、その犬は再びリードに繋がれ、ものすごく興奮していた。少し申し訳ない気持ちでその犬の身体を撫でた。息子は大事だが、ベクトルは違えどこの犬も可愛いと思っているので、どちらも気持ちよく過ごせるように、私なりに努めようとした。けれど、なかなか落ち着かない。ついにその犬が吠えだすと義兄たちは「相手にするとつけあがるから」と「うるさい!静かに!」と叱りつけた。単純に悲しかった。あぁ、この人たちは飼い犬にしていることをうちの子にもやっていたのかと。私は息子もこの犬も同じ命と慈しんでいたが、この人たちにとって飼い犬と息子は同等だと軽んじられていたのだなと。
犬と息子と私(ただの愚痴である)
私が声を荒げて旦那と義理母を責めたのがホールにまで聞こえていたのだろう、親族から腫れ物を触るような扱いをうけた。自分の受ける仕打ちには割と耐性があるが、自分の大切なものを軽んじられるのが一番辛く、怒りが沸いてくる。旦那すら味方にはならない。彼もまた、ヒエラルキーの一番下だからだ。私が這い上がっては自分が一番下になってしまうので、上から押さえつけてきた。そうか、ならば、と私も抵抗をやめ、一人部屋に戻ってきた。気分は最悪だが、息子は落ち着きを取り戻し、大好きな祖父と再び穏やかに過ごしていることだけが救いだ。
まぁ結局言いたいことはこれなんだけど。
『早く旅行終われ』
犬と息子と私(ただの愚痴である)
犬のリードが外されると、息子目掛けて走ってきた。彼は当然パニックになり、椅子から立ち上がり、ホールを逃げ回った。それを周りの大人が叱った。「逃げたらあかん。逃げるから追いかけられる。黙ってたら吠えられない」と。ありえなかった。普通の人にはただの犬でも、彼にとっては巨大な怪獣のようなものなのだ。それでも誰も犬を捕まえようとしない。私は必死で息子の体にしがみつき「お部屋にいこう」と言ったが、足元に犬がまとわりつき、息子と一緒に転びそうになった。また周りが息子を叱った。「暴れたらあかん」。限界だった。個室に息子を避難させ、安全を確保したあと、旦那と義理母が息子に釘を刺しにきたので、かなり強い口調で言い返した。
ここでもう一度言う。私は犬が好きだ。
その上で、最低な言い回しをするならば、息子にとって犬とゴキブリは同列だ。見るだけで逃げ出したい、近づかれたら卒倒しそうになる、何があっても和解できない。大人の私だって、ゴキブリを見て叫ばなくなるのに30年以上かかった。慣れろ、というからにはそれ相応の時間をかけなければならないのだ。たった半日一緒に過ごしたぐらいでどうにかなるようなものではないのだ。