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日記と人間関係における所感 

他人との認識のずれをそのままにしておくと歪みがどんどん拡がって、拗れて、捻れていくのだなと実感した。経験則で「こう言えばわかるだろう」「伝わっているだろう」ということも全く伝わないことがあるし、相手も同じように思っていると「伝わらない」と思っても不和を避けるために明言を避けたり、離れたりしていくのだなと。話が噛み合わなくてもこちらが我慢すれば崩壊は避けられると思っていたけど、そうじゃないことがわかった。だからといって気持ちを全て伝えられるか、自分よがりになっていないか、無意識に相手を傷つけていないか、を常に考える必要はあるし、そういった人間関係に疲れたりしないか、と思うところとあるけど、私の中では他者への好きと嫌いが『パワーバランスで嫌いに傾いたら嫌い』といったものでなく、相手のここが嫌い、こう言われて傷ついた、こういうところが許せない、だけど好きの部分は変わらず心にあるし、不快の理由が対話で解消するならそうしたいし、相互不理解で解消できる関係性ならここまで深く付き合ってないんだよな、と。友だちって、理屈じゃないんだよなぁ。仲直り(私の片思いかもしれないけど)できてよかった、という日記。寝よー

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