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例のコロンビア大のプロテストをジョン・ケージを引き合いに出して批判した記事に対して、音楽学者のPhilip Gentry(戦後アメリカの音楽と冷戦に関する著書があり、ケージの政治性についても触れているそう)に取材した記事が出ていた。ケージ自身は多分デモに賛同こそしなかったろうけれども、そこで生じている音は受け入れたでしょうね、という、まあそうだろうなという話だ。

John Cage Would Want You to Listen to Columbia’s Pro-Palestinian Protesters – Mother Jones motherjones.com/mojo-wire/2024

むしろ「あるがままの音」みたいなケージ的な枠組みでは、「学生たちのデモの声」が持つ政治的な含意もまた音そのものとして脱政治化される(別のレベルの政治性があるのだ、ということはできるのかもしれないが)のではなかろうか……

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