https://websekai.iwanami.co.jp/posts/8533 読みました。
アメリカも、文化の殺戮という点では先住民族の人びとの土地を奪い文化を奪い、親元から引き離して「正しい」教育を受けさせようとした子供たちの口に石鹸を押し込んで(汚いものだとして)ことばを洗い流そうとしてきたし、いまも医療などの面で差別的です。日本だって、アイヌの人びと琉球の人びと、名前さえ消えてしまった人びとにひどいことをしつづけている。この文脈が「ガザ」という地に、もっともひどい現れ方で起きている。……自分たちのやり方に蓋をしてきて後ろ暗さから見て見ぬフリをすることは、わたしは「いけない」と思うし、ただちにジェノサイドを止めるのはもちろん、「先進国が利益を得るのが当たり前」の構造をいい加減正したい。当面はボイコットと署名、拡散を続けます。
あくまでわたしの受けた感じなんだけど、男性学者(概ねシス白人)は「自然が回復するためには人間はもう一切手出しすべきではない」という見地からものをいいがちにみえる。
いままでのかれらの介入の失敗を思えばその主張に頷きそうになるんだけど、女性学者(先住民族の血を引いているか、その人びとの様子をよくみて学んでいることがある)はちがって、「ともに居る/いっしょに居させてもらうことができる。そのためにどうするか」という考えを表してくれる。
これ、男性が陥りがちな、「(いちばん賢いはずの自分たちの)失敗を認めたくないし、(畢竟)責任も取りたくない」スタンスと共通項があると思う。
わたしは女性学者たちに賛成で、土や草木やけもの鳥たち爬虫類虫たちetc.の末席で学びながらいっしょにやっていきたいんだけれど、どうしても障壁になる、「男性学者やその考えおよび権威」に、わたしのおはなし(物語)をどういう立地から組み上げて話すか、ということを最近考えている。
おはなしを書きます/生存🍉/🏳️🌈クエスチョニング/地べたに座って語るひと、その傍に腰を下ろせるひとでありたい