あくまでわたしの受けた感じなんだけど、男性学者(概ねシス白人)は「自然が回復するためには人間はもう一切手出しすべきではない」という見地からものをいいがちにみえる。
いままでのかれらの介入の失敗を思えばその主張に頷きそうになるんだけど、女性学者(先住民族の血を引いているか、その人びとの様子をよくみて学んでいることがある)はちがって、「ともに居る/いっしょに居させてもらうことができる。そのためにどうするか」という考えを表してくれる。
これ、男性が陥りがちな、「(いちばん賢いはずの自分たちの)失敗を認めたくないし、(畢竟)責任も取りたくない」スタンスと共通項があると思う。
わたしは女性学者たちに賛成で、土や草木やけもの鳥たち爬虫類虫たちetc.の末席で学びながらいっしょにやっていきたいんだけれど、どうしても障壁になる、「男性学者やその考えおよび権威」に、わたしのおはなし(物語)をどういう立地から組み上げて話すか、ということを最近考えている。