過剰なプラスマイナスは人間に(すごく)頻繁にみられる傾向で、自然、わたしが関わりあえた森や本に書かれている木々および共生植物菌類など「ひとまとまりのいのち」、(そしてそこに組み込まれた動物たちは、)基本ニュートラルに生きて感じられる。かれらの思考は何も足さない何も引かないところにあって、もし人間がかれらに加えてもらいたいなら、かれらの声を聞けるレベルまで自分を持っていき、敬意を持って「取りすぎず」居ないといけない。
この気候変動の中、生き残りのための情報を集めて菌根菌ネットワークなどで送る老樹たちには、たぶん今人間は「対処するが、不可解」に思われているかもしれない。環境「を」自分に従属させた人間は自分自身の理論でがんじがらめになって「過剰にプラスかマイナス」だから。