1日1クリック毎に国連パレスチナ難民救済事業機関[UNRWA]に1ドルが寄付されてガザの支援につながる、とのことなのでクリックしてきた、自分用メモ
https://arab.org/click-to-help/palestine/thank-you/
FAQ|トランスジェンダーの生き方編
https://trans101.jp/faq/
K2 488話
④その他
・現場で働く医療従事者のかっこよさ。流れるようなテンポで描かれるけど凄まじい症状と患者がどんどん運び込まれてくる救急外来しかも年末年始、ほんとうに皆様お疲れ様です。すごいことだ。それをギュッとして描写する漫画のうまさも毎度の事ながらすごい
・斉藤ちゃんがめちゃくちゃ格好良い。斉藤ちゃんと大関先生のコンビが良くて、ラストのページで大関先生にブランケットをかけてあげようとする斉藤ちゃんのコマにグッと来て、もっとこの2人のことよく見せてください!!!!!あっ次回もこの2人の活躍が見れるんですか?!?!うれしっ!!!!!!!になってる
ちょっと前の回で斉藤ちゃんのオールラウンダー性が今後どうなっていくのかの話がちらっとされていたから、今回の話は富永先生の話抜きにしても嬉しい回
K2 488話
③富永先生
やはり岐路の「俺たちは医者なんだから」は、1話の「命を救うための努力を放棄した瞬間からお前は医師ではなくなる」であり、これこそが富永研太であり、最高 もうそれしか言えない 出会った人を変化させ、次代に繋いでいく、「あの人のようになりたい」と思わせるスーパードクターでスーパーヒーローの富永先生、格好良すぎる。白石先生の話を聞いての斉藤ちゃんの「これじゃあまるで…」に続く言葉はまるでK先生、、、ってこと?です?よね? 一人と研太でK2だ……………………。一人と研太のふたりでK2だ!と感じられる46巻表紙絵を見返しに行って、またひとりでしみじみ良い…………になった。
一人先生や、富永先生という、「とくべつにすぐれたひと」でなくても、医師であるために医師になるために、どういうポリシーや倫理観を持っているか、どれだけ人間の命や、その人の人生のことを思うことができるか、というのを描いているのを見ると、K2世界の医師たち、医療に関わる人たちのことが眩しくて仕方がない。現実世界の多くの医療に関わる人たちも、こうであると信じたい。
K2 488話
①也宮&たぬき
ことしも一也くんと宮坂さんがお誕生日プレゼントを交換している情報があって、しかもおそらく宮坂さんからは刺繍入りのハンカチが贈られてるの分かってあらま〜🥰になった。宮坂さんが一也くんに対して贈ってくれるものが前回の万年筆だったりと、毎日でも使えて形に残るものなのめちゃくちゃ良い……
たぬきってこの世界でスーパーアイドル的存在なの?!?!宮坂さんに刺繍してもらったたぬき、めちゃくちゃ良い。もふもふ。ずんぐりしている。かわいい。かわいい…………。こちらの商品化もお待ちしています。あっでもやっぱヤダかもこれは一也くんだけのものであって欲しいかも!!!!!
②白石先生
緊急時とはいえ口調強い先生来たな〜と思ったらあなたあの時の研修医の子か!! 立派になって……。出身大学が西海大と分かってからの流れが漫画がうますぎて読んでる時身体の中の何かしらがふつふつした この漫画、おもしろすぎる
途中で一也くんが部屋に入ってくるけど、富永先生のお名前を出していないし、あの時のオペの話もキューザック博士にスカウトされたことも一也くんは知らないだろうから、富永先生と一也くんと白石先生が交わっているようで交わっていないようで交わっている、この良さがすごい。めちゃくちゃ良い。この漫画、おもしろすぎる
「被害者に寄り添う」 米兵の少女暴行事件に抗議、県民大会始まる 開場前から多くの参加者(琉球新報)
https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3792569.html
会場に入りきれず、ロビーで中継見てる方々もいらっしゃるんだな……
2500名もの方が集まったと、たった今司会者さんからアナウンスあり
<社説>きょう県民大会 何度でも集まり声上げる(琉球新報)
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-3789851.html
"私たちはいつまで政府に叫び続けなければならないのか。それでも不条理を前に黙してしまえば、必ず次の犠牲者を出してしまう。尊厳を冒涜(ぼうとく)するな。沖縄県民は何度でも集まり、声を上げる。"
大阪地検元検事正と滋賀医大生の報道をずっと引きずっている。暴力が暴力として認識されず、「おたのしみ」の範疇に包括されることが許されているばかりかもはや常識であることがつらい。性に関することと愛に関することだけ暴力の基準がバグっていて最悪だと思う。ネットの中、自分の周囲ではそんなことは無いけれど、現実の世界は絶対にそうだ。「本当に嫌だったのなら○○できるはずだ」などといった言葉がそちら側から正しさをジャッジしていく、そういう傲慢と暴力とがきちんと傲慢であり暴力であり、そこには差別があるのだと認識するひとが大多数な社会になりますように。祈るばかりでは何にもならないかもしれないけれど祈らずにいられない。自分は「そっち側」にはならない、関係ないという前提があってこそのジャッジはもういい加減にしてほしい。あの情報だけ見せられて怒らずにいられる? こんなの。
・大暴れの日常文 ・20↑ ・ひとりで喋ってる ・すごくうるさい ・元気! ・日常の話もする ・最近はとみけーのことばっかり考えてる…… ・トランス差別、ノンバイナリー差別を含む全ての差別に反対しています ・マスト🐘ドンの使い方あんまりよく分かってない