「宮崎や鹿児島でスポーツ選手が合宿をおこなう際に、知覧特攻平和会館訪問を日程に組み込むことは、よくあります。」
「「特攻平和会館で選手たちは「みな、肩をふるわせて泣いていた」けれども、それは特攻隊員が可哀そうだからではありません。眞鍋政義(一九六三年生)監督はその経験をふまえて「日の丸の重みを認識させ」、「我々が負けると日本が負ける」と言い続けたそうです。彼女たちの涙は、究極の「日本代表」である特攻隊員と自分たちを重ね合わせ、日の丸の重圧をプライドとパフォーマンスに転化するために流されたのです。」
井上義和『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社、2019年)118-119頁より
*上掲の眞鍋監督のエピソードは、注によれば伏見学「勝利をたぐり寄せる全日本女子バレー・眞鍋監督のコーチング哲学」に拠るとのこと。
特攻隊員の献身があった「から」今の日本があるわけではもちろんなく(「から」という言葉の粗雑すぎる使用、因果関係の捏造)、特攻隊員は当時の日本政府の愚劣極まる戦争方針の犠牲となって、勝機に全く結びつかないやり方で死を強制されたのであり、そのような若者の死は戦後日本がゼロからどころかマイナスから再出発せざるを得ない要因の一つとなったし、「今の日本がある」という言葉に暗黙のうちに込められているであろう肯定的な評価とは一切関係がない。逆に、特攻における若者の命の軽視が今日では非正規雇用に代表される悪辣な労働条件の中に脈々と息づいているということであれば、冒頭の特攻隊員の献身があった「から」今の日本があるという命題は多少の意味を持つと思う。
カラスも口が開く猛暑まっただ中。(六義園) – グリーンフォトライター/文章アドバイザー 宮野真有のブログ
東京でももちろん食べられるけどあまり見ない京都っぽい食べ物、湯葉とハモかなー。関西のスーパーではハモ天とか買えるけど関東ではあまり見ない。
ただの会社員でございます。よろしくお願いします。北海道にわりといます。 言うまでもないとは思いますが、フォローフォロワーさんと意見が同じというわけでも賛同というわけでもありません。 反ファシズム・反差別 間違った考え方もたくさんしてしまいます。勉強してアップデートしていきます。