今回改めて読んでみると、フェルマイのお互いへの触れ方に愛情が籠もっていると感じることが多くて、その「触れ」の延長としてのセックスみたいな感じなんだなーと思った。特にマインからフェルディナンドに触れる時。
性的な欲望(この人に触れたい/触れられたい)を感じることと、相手を愛すること(信頼する、尊重するなど)とはどういう関係なのか?というのをもう少し掘り下げたかったな、とも思った。原作のフェルマイにあるのは後者で、後者の表現の中には身体的な触れ合いも含まれていて、私はこの愛していると相手に伝えるための身体的な接触の延長として、セックスを描こうとしていたのだと思う。
でもそれって全然欲望を経由していなくて、一体二人はどこで相手の身体に欲望するんだろう?というようなことを思わないではなかった。原作のフェ氏は髪や頬に触れる時、何となくそういう感情が混じってそうではあるけど。
コルレオとかはお互いのこと結構欲望してるんだなって東屋デートの短編を読んで思ったりもしたので、尚更なあ。
いっそ、マインはセックスを経験してから欲望するようになるという方向でも良いかもね。勿論欲望しなくても良いんだけど、そうするとセックスがつまらない時間になるとは思う。
この問題さあ、萩尾望都『残酷な神が支配する』でも扱われていて、何かあんまり明確な答えが出ていなくて、ああ〜これは明確な答えがない問いなのかもしれないな〜というようなことを思った。愛情と性的欲望、愛情と独占欲の相違はどのようなものなのか、みたいな。