本好きの最終巻、ローゼマインが麗乃の年齢に追いついてきた感があって、それはつまりフェルディナンドと自立した大人同士として付き合えるようになるってことでもあって、その辺りが非常に良かったなあ……と……。
そう思って読み返すと、フェルディナンドがローゼマインに助けられた際に、彼女と本当の家族になりたい、なろう、と決断をした理由の中に、やっぱりロゼマちゃんが大人になっているからというのはありそうだなと。魔力感知云々ではなしに、ローゼマインは自分が常に守らなくてはならない存在ではなく、自分と一緒に歩いていける存在なんだ、と思えるきっかけだったんじゃないかと思う、あの救出の一件っていうのは。
プロローグで彼が「ローゼマインは自分のことを諦めずに助けてくれた、だから自分も諦めない」みたいな風に考えるシーンがあるけれど、こういう考え方に基づいてローゼマインに接する、あるいはローゼマインのことを思うということ自体、大人と大人の対等な関係性って感じがするんだよね。
彼をそうさせたのはローゼマインの行動な訳だけど、アーレンスバッハへ乗り込むっていうのはローゼマインが子供の姿のままではやはりできなかった筈で、彼女が心身共に成長して大人になったことで、色んな扉が開いていったんだな〜……ということを思うのでした。
この辺り結構『ジェーン・エア』みかあるかもしれん。