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漆黒のヴィランズ、まだクリスタリウムしか知らないところで止めているのだけど、何となくクリスタリウムの街を見て『聖書』の神の国のことを思い出した。

「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」(新共同訳『聖書』マタイによる福音書4:17)

「私たちは何ものにも滅ぼされない御国を与えられているのですから、感謝の思いときよい恐れとをいだいて仕え、神に喜んでいただこうではありませんか」(『リビングバイブル』「ヘブル人への手紙」12:28)

クリスタリウムは光の氾濫に抵抗するための拠点みたいな面があるのだと思うのだけど(NPCの言葉からそういう印象を受けている)、単に分かりやすい形で……例えば武力とかで抵抗することのみを「抵抗」と捉えているのではなくて、人間が生きる意義を感じられるような、幸せだと思えるような生活圏とか文化圏を整備することも「抵抗」の一環だ、みたいに考えている人々がこの街を作っているのかなという印象。

それは結構、キリスト教における「神の国建設」に似てるなあと感じる。

どう似ているんだろうな。神の国建設は「抵抗」じゃない筈なのだけど。でも私、今もこの感覚をクリスタリウムに行く度に感じる。恐らく「世界を照らす闇」のメロディから直感したことなのだろうと思うのだけど……。

神の国建設は、いつか千年王国が現実のものとなる日が来る……とはいうけれど、イエス・キリストの時代から今まで、まだ完成を見ていない。建設は始まっているけれど完了していないんだよね。
そして我々は……という言い方で良いのか分からないが、とにかく神を信じる者は、この神の国に住まう者として、国の完成が近づいてきつつある中を生きている。

このような漸近的な希望のあり方がクリスタリウム的に思えたのだろうと思う。今すぐ罪喰いに打ち勝つのは無理、それでも抵抗を諦めない、安全や幸福を諦めない、少しでも死守し、少しでも明るくしていく……というそのありよう……。

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