上京後ほんの暫く関西弁を使っていたがすぐにやめ、関西弁話者と話す時以外は標準語を標準にして生きてきた。理由は幾つかあり、上京してまもなく頻発した自身の「作品プレゼン」というデス・イベントの際、関西弁を使用すると「和み度」や「ウケ度」的にチート感があり、これが癖になるといけないと思いやめたのがひとつ。もうひとつは藤原紀香エフェクターを過剰に踏み込みたくないという思いがあった。これは説明が難しく、かつ藤原紀香さんに失礼なのでとても申し訳ないのだが、関西弁話者である事を関東圏でことさら強調する関西弁の運用の事を「藤原紀香エフェクターを過剰に踏み込んだ状態」と私は呼んでおり「自分は藤原紀香エフェクターを踏み込みたくない→非関西弁話者からすれば藤原紀香エフェクターを踏み込んだ状態か藤原紀香エフェクターを踏み込んでいない状態かの同定は困難→自分は藤原紀香エフェクターを踏み込んでいないと自認していても周囲からは藤原紀香エフェクターを踏み込んでいると思われる可能性もままある→藤原紀香エフェクターの前に配置された関西弁エフェクターをそもそも踏まない」という逡巡と決断のプロセスの果てに関西弁を私はやめた。