先日面と向かってある方に「もしかして多動症?或いはADHD?」と言われた。対人ストレスが過剰にかかると落ち着きがなくなるのは事実で、また逆に落ち着きを自らなくす事で一部の対面コミュニケーションが可能になる部分もあり、この辺りはなんとも説明が難しいので黙ってしまった。後日親友とこの話題で盛り上がり、その人にとっては「もしかして左利き?」ぐらいの感覚なのかも、という解釈も出た。仮にそうだとして、同じ理屈で身体的特徴から性自認、性的指向、疾患、思想・信条までの指摘全てを「もしかして左利き?」感覚で言えてしまうとしたら、それはどうなのか。と言うか左利きの人も右利き社会で生きる大変さがとてもある。ちなみに私の親戚は、私が髪を伸ばしているだけで「もしかして、ジェンダーか?」という奇妙なイジりをしてくるが、母親もそれに「私も実はそのケがあると思っておりまして(笑)」という乗っかり方をしてきて良くない。もちろんこの話は冒頭の話題と少し問題の性質が別とは思うが、「自分はそれを奇異なものとは捉えていませんよ?」というポジションからのつもりの発言も、当事者からすれば受け取り方は様々であり、気にした方がいい。