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コロナ5類化で、まるでタコ5のエンディング部分のような状況担っているのがガクブルもの・・・。

能登での地震の件とこないだの町内会の総会のことを考えると、すごい色々不安になる。
災害とデマが組み合わされるとシャレにならない状況おきかねないからなぁ・・・。

それって下手すると、普通に奴隷制やがな・・・。 [参照]

日本人にとって、『他者』という概念がそもそもいないのかもなぁ。
他者に対して、ある種一体化するか壁作るかしかできない感じだし。

利権目的でコオロギパウダー普及させようとするのもそれはそれで問題だけれど(アレルギーとかそもそものコストの面とか)、他方で昆虫食の文化自体は本邦に限らず世界各地であるわけだから、前者批判するあまりに後者含めて「気持ち悪いから」的な論調でやるのはどうよと思う。

チャイコフスキーの六番、昭和~平成初期ぐらいの貧乏学生の月末を描写している説
・1楽章:『か~ね~ね~え~、ひ~も~じ~い~』
・2楽章:『し~お~く~り~が~きたぞ~』
・3楽章:『コンパでビールをのも~』
・4楽章:『あぁ、金~ね~え~』

ちなみに英語の場合は一応韓国の植民地化のはなしが、ウェールズの方言札つながりでちょこっとふられれてたのは記憶している。
あとは広島・長崎がらみで核の話と、同じく各つながりで(フィクションだけど)ネビル・シュートの『渚にて』が出てきたぐらいだったかなと。

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「何で戦争になったの」が触れられてないことがそもそも違和感を持つ(はずであろう)点ではあるけれど、おそらくそこに触れたら加害の歴史は触れざるを得ないからなぁ・・・。

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結局日本の平和教育の失敗点は、日本の加害にほとんど触れず、戦争の労苦や戦略爆撃等に起因する被害の悲惨さでのみ語られがちであるというところなのよねぇ・・・。
少なくとも小学校から高校までの間で、国語や道徳の教科書とかで戦争ネタは少なからずふられれるけれど、日本側の加害に触れたのはほぼ皆無で、「家族が戦争に取られて戦死」とか、「米軍の戦略爆撃で家族や友人が死んだ」とか、「物資不足の中闇物資に手を出さず法に殉じた」とかそういうのばっかだったし。
(20年以上昔の話だけど、おそらく似たようなものかと)

極右の言う自由=他者を差別する自由

現役のプログラマとして言わせてもらえば、母語で論理的思考ができればプログラムかけるわけだから、それこそがプログラム的思考なはずなんですよね。
決して詭弁や雑な言説巻き散らかすことをいうわけじゃないでしょうに。
(なんか見た)

アベマ人士ども、一言で言うなら『存在を唾棄すべき軽さ』だよなぁ。

結局原発ってかなり高くつくのよねぇ・・・。
事故ったときの天文学的なレベルの損害を抜きにしても、
・核廃棄物の処理やバックアップに化石燃料を使わざるを得ない
・そもそも日本国内でウランはろくにとれないから輸入に伴うコストもかかる
なわけだし。

道徳に至っては『戦争の労苦』から盲従的な遵法意識の涵養に持っていこうとしてるような状況なのでいろいろお察しではあるのだけど。

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中学、高校の時から肌感覚ではあったけど、日本の平和教育、やらかしたことへの振り返りが甘くて、「平和教育」というよりは「厭戦教育」ではあるよなぁ・・・。
社会科ではある程度踏み込んでる内容多くはなってきたけど、国語なんかで戦時中のネタ取り上げられるときは『戦争の労苦』ばかりが語られて、課外の歴史に触れてる作品取り上げられることほぼ皆無だし。
(せいぜい感想文とかで遠藤周作取り上げられるぐらい)

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