「自然(単一、客観、普遍)と文化(多数、主観、解釈)」という二項モデルとは別の存在者のあり方(ヴィヴェイロス・デ・カストロは「存在論」と呼ぶ)として、たとえば「普遍的な文化と多数的な自然」という存在論を挙げる。あらゆる存在者の精神や文化は普遍的であって、どれも人間性をもつ。そして主体の視点に応じて、自然(身体)は異なる相のもとで見られる。人間は人間を人間として見て、サケをサケとして見る。サケはサケを人間として見て、人間を非人間として見る。サケにとってサケの身体は人間だが、人間の身体は非人間である。
こういう話のはず。だいたい呑み込めた気がする。少しすっきりした。