ヒレカツ弁当を買った帰り道。某レストランの前にあるベンチでうつむいたまま座っている高齢女性がいて、心配になり引きかえした。杖と押しカートを側に置いている。
「おばさん、どうしたの?大丈夫?立てるの?誰か迎えに来るの?」と訊いたら「ああ、大丈夫大丈夫。ちょっと休んでいるだけだから、あと少しで立って歩くから。ありがとありがと」というので置いてきたけど、なんでああいうおばあさんを皆無視して平気で歩いて行けるんだろうか。
その話を帰ってから妹にしたら、「あら、わたしがめまいがしてスーパーの通路でしゃがんでも、誰一人として声なんかかけてくれないよ」と言う。妹は心臓の手術をして今でも不整脈やめまいが起こると、外でしゃがみこんでしまったり、ベンチに座って息を整えるのだ。
ねえ、どうして皆そんなに冷たいの?気にならないの?
オーストラリアだったら、皆寄ってくるよ。わたしなんか、駆け寄るヒマさえないくらい皆素早いよ。
#日本 #東京
自分は声かけるほうではあるんだけど、自分が公共の場で体調不良に見舞われて座り込んだ時に一番最初に頭に浮かぶのが「大したことないし、すぐ治まりそうだから声かけられたくない」なんだよね。
他人に自分の状態を説明する手間とか救急車要請を断る手間とか、体調不良な状態を見られたくないとか、色んな感情がごっちゃになっているのは事実だけど、その根本にあるのは「迷惑な人と思われたくない」「事を荒立てたくない」なんだよね。
「迷惑な存在と思われたくない」が生命に優先する価値観として内面化されている。