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「ウチの子が申し訳ございませんでした……ほらっ」
「もうしませんにゃ……です……グスンッ」

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気温的には問題なかったけど、半分くらいで諦めた

2日連続で走ったらどうなるんだろうと思って走ってみたものの、普通に足痛い :oshirase_blobcat_oyoo:

たこ焼き界隈で有名なガスコンロ(炎たこ)欲しくなってきたな……

ちなみにニヒリズムを極める場合、シオランから入るのがおすすめ(結局、ニヒリズムも極めていったらケアに突き抜けると思うけど)
seikaisha.co.jp/information/20

①世界には自分ではないものがたくさんある(他者・外部の発見)、②よくよく考えたら世界は不確定だけど、世間を生きていくためにその偶然性に賭けてみる(遊戯の発生)、③偶然を待つことを通じて外部の広さを大きくしていけるようになる(信頼の獲得)
みたいな過程を辿れるようになるのが、ケアフルな生の技法で、④そのためには外の暗さに耐えられる〈弱さ〉(ネガティブ・ケイパビリティ)が大事(曖昧さの復権)としたらまだわかりよいかも…

だいたいそんな感じだけど、そもそも前提条件として他人は信用できないというニヒリズムは置かないというか、一人称的な世界の外を広くしていくといった方が的確かもしれない

ソクラテス的な態度とも違っていて、説明しがたいところではあるけど、朱子学では悟りを得たら、それは捨ててしまって俗世間へ戻ってきて日常を実践していくことに重きを置いていて、知的探求心の残酷さをどこかで停止させて、世間のなかでケアを実践していくみたいなニュアンス
だいたいの神秘思想でも日常への回帰は重要なところだけど、「知ってるけど、知りきらない」曖昧な中間項(ある種の無関心)に身を置いてみるのがより善ではという感じ

土用の丑の日らしいのでデジタル鰻丼でも食べるか……

「未知=恐怖」という等号を外すことと、知っているところから知らないところへ戻ってくる(朱子学的)態度というか、ざっくり言うと他人を信頼してみるというある種の投企というか、素朴実在論=動物的な自然な態度から外れてみるのが人間らしさかもしれない

ラヴクラフトのゴシシズムもある種の接触恐怖というかあの時代特有の倦怠と韜晦というか、それに対する神話の分類、解体と俗化という相剋関係も、今の時代精神に繋がっていると言えば、繋がっているかもしれないから大体あっているかもしれない

ケアフルな生き方は「しないこと」に加え「知らないこと」によって満たされていく必要があると考えると、帝国主義vs老荘思想といった感じだな

依存症の治療戦略で、久しく江湖に普及しつつある依存先を増やしていくという態度の本質も、単に社会関係資本を増やすというところだけではなくて、如何に世間を知らなくなっていくか(未知が日常化していく)という部分に重点を置くのがいい気がしてきた
知らなくなるためには、当然より深い次元で知っていなくてはいけないけど、宮本常一の『忘れられた日本人』後書で触れられている世間知も、あるいは記憶術/忘却術、引いては催眠術もここに繋がるかもしれない。メスマーブームが来そうな予感

多弁と不信が相関する場合(他人を信じるのが怖い、未知を受け容れられない、故に理解=殺繆によってわかっていくことが生の技法として採用され、更には他人を圧倒せずにはいられず、接触恐怖と知的好奇心は隣接している)、SNSが他者不信と負の共感に溢れがちなのって自然な趨勢だなと今更の発見

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