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人の子は黙って“贖い”

人の子は黙って“贖い”

死すべき運命、知るときが来たんだよぉ

異端審問官のクールポコ
「夜ごと夜ごとに森の奥で怪しげな宴を開いてるやつは、異端ですよぉ~」

「荼ぁ~毘ぃ~っ!!焼いちまいなぁっ!!!」

学生の頃、図書館で借りて挫折した想い出

ネタばらしをするとプラハのラビ、レーフとゴーレムの架空問答だけど、III、IVくらまいでは続けられそう

旋頭歌の旋頭歌らしさって何なのかいまいちよくわかってないけど初めて作ったにしてはまぁまぁだと思う

久々にからあげクン食べたけどうめぇ……

ダンシングクリスマスツリー、楽天で2,000円
ちょっと欲しいな……

作品を捧げ物とすることで、私の作品が振るわないばかりに郷里の新潟が凶作に苦しんでいる……とか妄想できる(したことないけど)

作品を何に捧げているか問題は、一番よくあるのが霊感源である「ミューズに捧げる」派だけど、個人的にここ数年は「ヘルメスに捧げる」ことにしてる
ヘルメスはかつて「言葉」を意味していたという説もあり(井筒俊彦のいうコトバを想起する)、何よりヘルメス・トリスメギストスやヘルマフロディートスにも通じるからというただの趣味の問題だけど
あとはもし日夏耿之介に見られても怒られないかどうかで判断してる、これはただのファンだからだけど…
みんなも作品は思い思いの何かへの供物としよう!

大根をブリの横に置いても構わんのもそういうことだし、まさに手術台の上のミシンと蝙蝠傘やね…

結局のところ、作品というものを巡って、もしくは自己の生涯を一個の作品としたときに、そこにたくさんの他人がいることを見つけるのがひとつの時間を生きるってことなのかもしれないなぁとぼんやりと思うのであった……:blob_mu:

かならずしも日常の生活とか時代精神を求める(自然主義や社会主義)必要はなくて、もっと普遍的で永遠的なものを求めて(ロマン主義や芸術主義)もいいし、とはいえ生活や時代を突き詰めていくとそこにもまた真理が現れることもあるし、
要はスタイルの問題だけど、そのスタイルの模索もまた芸術の営みだし、色々やった方が遊びがあって、もしくは出来て、つまりは余白が生じるからそこに他人が入ってきて面白いよね的な感じ

経験論でしかないけど、短歌にしても何にしても文芸作品(美術もそうだけど)は自分で生み出したものでもあるけど、その反面、自分のものではないという感覚をもつのがけっこう大事で、なのでまぁ「影響の不安」を突破して、どこかのところで自己を捨ててコトバに委ねるみたいな謙虚な姿勢がないと破綻しがち

このサイト凄い。三重(!)の学芸員の人が運営してるっぽい。さすがはトリスメギストスの地

uchuronjo.com/index.html

古本買ったらチェコの観光マップ入ってた
実際に旅行行ったんかな。羨ましい…

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