年度の始まりとエイプリル・フールが重なるの、ちょっと面倒だな、といつも思う。
罪のない、他愛ない嘘であっても、完全に騙されすっかり信じこんで(疑う理由がないので)「へええ〜そうなんだ!」と真剣に驚いた瞬間に「嘘です」と種明かしされるときの気持ちは、正直よいものではなかったな。
親がこの手のちょっとしたいたずらが好きで、子どものころさんざん「騙された」のでたまたま私はこうなった、というだけで、罪のない嘘に騙されることを楽しめるひともいるのかもしれないが…
私は嘘つきなところもある人間ですが、理由のない・ちょっとした嘘はつけなくて、嘘をつくときですら真面目です。
「真面目・堅物・融通が効かない」みたいなことを徹底的に茶化されてたのが90年代だったという印象があって、まあ私もそういう茶化しを内面化してもいるんだけど、それでも茶化しのほうが無効化してきたことで最近はかなり楽になった。なので『不適切にもほどがある!』のようにそこをひっくり返されるのはしんどい…(話が逸れてきた)