かつて故・坂本多加雄が「たとえば新年参賀の際に、天皇が観衆のなかに姿を現し、観衆がこれに歓呼をもって迎えるという劇的な場面そのものが、日本国を可視的に現前させていると考えれば良い」(『象徴天皇制度と日本の来歴』1995年)と書いたが、大事な舞台装置を忘れている。その群衆を統制し・ぐるりと取り囲む、国家権力の暴力装置の存在がその「劇的な場面」から消されている。

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新年一般参賀でやってくる任俠系右翼政治結社諸君と、彼らとにこやかに新年の挨拶を交わす公安右翼担当が、耳のイヤホン以外は見分けがつかなかった。

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