『反逆の神話』の二番煎じみたいな本の自己宣伝を見かけたので、『反逆の神話』読んだときのツイートをまとめておきます
電車で読んでる文庫版『反逆の神話』、「カウンターカルチャー運動にきわめて特徴的な自己過激化」として、「究極のオルタナティブ音楽のアルバムは一九七五年にすでに発表されていた。ルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック』」とあり、あれを「究極」にしちゃうお上品なものさしに苦笑。この本の「カウンターカルチャー運動」概念ガバガバすぎ。
『反逆の神話』やっと読了、「結論」章に「富や教育などの「優位性」の分配を批判することは、資本主義を批判することと同義ではない…左派批評家が資本主義の重大な欠陥としていることのほとんどは、実際には市場の失敗の問題であって、市場がしかるべく機能していた場合の結果ではない」とあって唖然。
その直前に「現代経済を組織する方法は次の二つ。(旧ソ連の経済のように)官僚制の産物である集権的なシステムか、さもなければ生産者が市場取引を通じて成果を得るよう図る非集権的なシステムのいずれかだ」とあり、こういうイメージで「市場」を把握していることがわかる。なんか般教の教科書みたい。
(つづく)
〈市場がしかるべく機能〉していればOK主義なので、必然的に著者の指針は「グローバル資本主義を最大限に利用するとは、どういうことだろうか? それは市場の失敗をくまなく探し出し、見つけたら、どのように解決できるかを創造的に考えることだ」というあたりに着地する。あー
では「市場の失敗」とは?「ビル・ゲイッが蓄えた巨額の富は、競争市場の産物ではない。マイクロソフトがコンピュータのOSの分野で行なっている自然独占の産物である(この場合、消費者が不利益をこうむる)」こういうことを指すらしい。
「この種の行き過ぎを正す方法として資本主義の廃止をすすめるのは、金持ちの一部が税逃れをしているからといって、所得税制を廃止したがるようなものだ」と皮肉ってみせるが、MSの独占が気に食わないから「資本主義の廃止」を言う人がおるとは、いろんな人がいるなー「カウンターカルチャー」箱には。
著者たちが言いたいのは「僕らがカウンターカルチャーの重罪と呼ぶものの典型例、つまり、ラディカルさが足りないとか人々の意識を充分に変えないという理由で、現実の社会問題に有効な解決策をはねつける傾向」を否定することにある。ではその〈現実の社会問題に有効な解決策〉の吟味が必要ですねー
『反逆の神話』読んで、『反逆の神話』を援用する人まゆつばになった。