1930年12月23日に文部大臣が出した「家庭教育振興ニ関スル件」の訓令と「家庭教育振興二関スル件依命通牒」の文部次官通牒の二つが出されたその日に、文部省のテコいれで「大日本聯合婦人会」が結成された。
これは「我力邦固有ノ美風ヲ振起シテ家庭教育ノ本義ヲ発揚」することを目的として、「家庭教育ハ固ヨリ父母共ニ其ノ責ニ任スヘキモノナリト雖特ニ婦人ノ責任重且大ナルモノアリ」(通牒)という理由から、「特ニ婦人」の「婦徳の涵養」を目的として結成された官製婦人団体であった。
この団体が、愛国婦人会、大日本国防婦人会につぐ巨大な勢力として育成され、日中戦争期・国民精神総動員運動期には重要な動員源となり、銃後の女性の組織化において大きな力を発揮する(1942年に他団体とともに大日本婦人会に統合される)。
戦時下の家庭教育と女性との関係については奥村典子先生の『動員される母親たち――戦時下における家庭教育振興政策』(六花出版)がくわしい。
現在の家庭教育支援法案との関係で、昭和17年の「戦時家庭教育指導要領」が参照される際に、じつは「家庭教育」「婦徳の涵養」を旗印に、女性の組織化がその10年以上前から開始されていたということもおさえておきたいですね。
(旧twitterにツリーで書いたものをまとめて再掲)