念のためこっちでも。
面白い映画を観てもらいたくて、ひさしぶりにブログを書きました。 読まなくていいので映画を観てください。
イタリア映画『まだ明日がある』のオンライン配信を今すぐ観てほしい(7/28まで、人数制限あり、1,500円)
https://hatointherain.hatenablog.com/entry/2024/07/09/180033
劇場と配信で観た演劇『長い正月』がすごく良かった。2024年ベストの1枠が確実に埋まるほどに良かった。
大正12年の大晦日から令和6年の元日まで、ある家族の100年を通り過ぎてゆく幾つもの生と死、夢と失望、悲しみと喜びを、正月という定点から見せる100分間。家族の輪郭が消えても想いは残る。なんと壮大でささやかな家族劇!
ここで描かれる家族は規範に適合する「家族」の温かい保護を無自覚に享受できる「普通の日本人」が主で、そこから排除された人々の姿は見えず、戦争や不況の影響は受けつつも家族の外にある社会と政治への視線はほとんどない。すごく内向きで綺麗な物語だと思う。でもそれがいけないわけじゃない。
家族の茶の間が見続けた100年はそれでも時代が、規範が、正月が、家族という形が不変ではないことを示し続ける。何もかもが失われていく中で、生きて共に新しい年を迎えることのできるさみしさと喜びよ。生き抜くことそのものへの祝福を感じる作品だと思います。ぜひ。
⚠購入は1/21 日 22:00まで
⚠視聴は1/25 木 23:59まで
※『バービー』の恋愛と性についてのネタバレ
ただ、ロビーのインタビューでは「人形に生殖器はないから性欲もない」という論理になっていて、私はそれもちょっと妙な話に感じる。確かにバービーもケンもヴァギナとペニスがないつるぺた股であることが強調されてはいるんだけど、そうなるとラストで人間になった=女性の生殖器を得た=だから婦人科に行っている(妊娠したという意味には限定されない)マーゴバービーには、対人恋愛感情と性的惹かれが芽生えてしまうのだろうか?
「バービーは仕事の面接に行くのかな?」「人間界でどんな活躍をするんだろう」という様々な期待と予想を裏切るこの意外なラストは、私は「死も老いも苦しみもある人間の複雑さを肉体ごと得た」という意味で受け取ったのだけど、あんまり生殖器にフォーカスするのもなんだかなぁという気持ちも微妙にあり、あのあたりは人の感想を聞いてみたいのよね……
※『バービー』の恋愛と性についてのネタバレ
世の中では(マーゴ)バービーとケンがつがい扱いされない展開を「男に依存しない女」的に評価する声も少なくないだろうけど、私はどちらかというと、バービー世界での彼女が最初から最後までAroAce的に描写されていることのほうを、好意的な意味ですごく興味深く感じたんだよね。セックスが排除された世界観は、作品をマテル社のコード内でしか作れないという大資本プロダクションの限界を指すのではなく、むしろ規範からずらす意図でもらされたものだと解釈した。
ステレオタイプバービーは人間界の性的な欲望を投影され、それを反映した体型や服装にさせられているように見えるが、彼女自身には「かわいい」「楽しい」しかなく、人間界でそういう視線をぶつけられて初めて居心地の悪さを感じる。あのあたりは女性の自己表現と客体化のズレの問題だと受け取る人もいるかな。でも、そもそも「セクシー」がファッションとしてしか存在しない感じに思えた。
『Wet Sand』しみじみ良い映画だったなと思うのでJAIHOとかレインボーリールとかで流さないかな。もう期限過ぎちゃったけど英米でもMUBIでしか配信してないし、オフラインでは映画祭を回っただけみたいだから再会の機会があるのかもわからない。
あんーなさんが前に読んでたパク・ソルメ『もう死んでいる十二人の女たちと』を読んだんだけど、8篇のうち『そのとき俺が何て言ったか』『海満』『暗い夜に向かってゆらゆらと』が好きでした。
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b555672.html
藁人形作家