星野智幸さんの記事を読んだのですが、人間は誰しも間違えることがあるので、「自分も何か間違えるかもしれない、その時は改めなくては」という姿勢があることで議論や話し合いが成立するのだと思います。
ところがネット右翼の人や左派自認、リベラル自認の人たちは「自分たちが間違っているはずがない」と思い込もうとし、それとともに「正しい答え」を与えてくれる権威に依存し、自分で考えることを放棄しているように見えます。
そして仲間同士で間違っていないことを確認しあうために、相互監視を行い、異論や批判を述べる人たちに雑なレッテルを貼って「ノーディベート」を通そうとするのですよね。
今回の星野さんの文章へのリベラル自認な人たちの態度がまさにそれにあたると思います。
また思いついたら追加しますが、DV男やエロ表現の自由戦士(あるいはひょうすべ)たちが批判されたり都合の悪いことを言われた時の態度ってどういうものでしょうか。
ノーディベートって要はそういうことだと思っています。
男尊女卑男の逆ギレ。
このツリーでは「正義依存というよりも男尊女卑依存では?」ということで背景にcrac、ANTIFA、しばき隊、くたばれGIDを唱えていた連中とその周辺を想定していましたが、さらに「POSSE周辺のセクト」が加わることになりますね。