科学研究者という生き物が「誰が最初に発見/発明したか」に対して非常に敏感で、正確性に強くこだわることは世間的にもよく知られています。

一方でそれ以外の人的要素、たとえば「どのような経緯・動機で発見/発明したか」等についての正確性については遥かにルーズな感覚をもっている、という点は意外と知られていないようです。

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たとえば、論文で「〇〇という経緯から我々は△△のように着想し、□□を行ったところ予想外にも××という結果が得られ、これは☆☆への応用が期待される」みたいなことが書いてあったとして、本当にそういう順序や動機であることは控えめに言って少数派です。

こういったエピソード的な部分は、論文を書いたり発表資料を作ったりしながら「創作」されることがほとんどです。研究中に偶然見つかったことをさも最初から狙ったかのように書いてみたり、逆に予想通りの結果をセレンディピティだと言ってみたり、まるで信じていない応用例を期待してみたり。

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実験の時系列も全く意識しません。(研究の結果・考察そのものに関わらない限り)ほぼ無限に創作して構わない、と考える研究者が多いです。むしろ「相手に研究内容を届ける・理解してもらう」ための大切な作業として、卒業研究等で厳しく叩き込まれた方も多いのではないでしょうか。

この辺りの作業、マジで研究者は良心の呵責の欠片もなく日常的にやるのですが、これ、結構世の中の一般的な感覚と乖離している気がします。下手すると詐欺的だと言われることもあるので、研究者の方々は注意した方が良いかもしれません。

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そういうわけで、研究者が語る研究内容以外のエピソード的な部分については、話半分に聞くのが良いよ、というお話でした。

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