しかしそのファンダムの悲痛な反応って、(こういう風にまとめるのは彼/彼女らのつらさを否定するような部分もあって躊躇われるけど、あえてはっきり言えば)ツアーに行ったらバンドの“ライブ”じゃない形態の、しかも見慣れないミュージカル風の歌と踊りと芝居のショーだったことに対する困惑というか、踊りや芝居という楽曲の演奏以外のエンターテイメントへの理解度の低さから引き起こされる誤読・誤解に起因する悲しみや怒りな印象で、今回のツアーがあえてファンクラブ限定で行われたことやネタバレ禁止にされていたことについていろいろと考えちゃったな
恐らくファンダムで一番物議を醸してたのは、先述の二部のラストに使われてた「Attitude」(https://youtu.be/ji99kh-GzTQ?si=CyXIgAmozEBS_SwS)の演出なんだけど、まさかあの演出があんな風にファンダムの感情を乱してるとはネタバレ解禁後のTwitter見るまで夢にも思わなかったな
当該の章は「青さのカケラ」って章題で、「春愁」「Just a Friend」「Attitude」の三曲で構成されてて、「ひとりでいたい、けれどひとりきりはさみしい」というアンビバレントな気持ち・孤独と鬱屈を抱えた青年が、ひとりの女性と出会ってその孤独と鬱屈から引っ張り出されて恋に落ちるけれど、彼女は他の男に恋をしていて――というあらすじになってる
このあらすじ自体は「春愁」→「Just a Friend」の楽曲を聞くだけでも“わかる”くらいでわかりやすいので、ラストに「Attitude」が持ってこられるのは実際私も意外ではあったんだけど
「Attitude」、元々ほとんど大森の独白みたいな歌詞だし、発表当時からバンドとしての決意表明としての意味合いのある楽曲だったはずなんだけど(これは歌詞読みながら曲聞くだけでもわかる)(MVもインディーズ時代のMVのオマージュになってるのでわかりやすい)、バンドの休止やその間のメンバー脱退とかの事象が絡んで、より決意表明としての意味合いが強まってファンダムからも「バンドとして大事な曲」として認識されてたっぽい
それが今回のミュージカル仕立ての公演の、先述の“わかりやすい”章のラストに持ってこられて、(元々明るく軽快なメロの楽曲だけど)華やかにアレンジされた上でアンサンブルも集合してショーとして華やかな振り付けで披露されたことで一部のファンが物凄くショックを受けたらしい
マジでオススタブにめちゃくちゃ流れてきた
「Attitudeであんな風に踊ってほしくなかった」「Attitudeが穢された」「信じられない」というようなファンたちの悲痛なお気持ちが…
私が最初に“見た”ミセスおよび大森元貴って、ほぼメジャーデビュー直後の彼自身として初の大阪ワンマンライブだったんだけど、その時の大森のMCで忘れられないくだりがふたつあって
ひとつは「この春に高校を卒業して、あんなに学校のことが大嫌いだったのに、いざ卒業してみるとなんだか胸にぽっかり大きな穴が空いたような気分」のくだりで、
もうひとつは「自分たちの夢は有名になること とにかく売れて有名になって、紅白や武道館のステージに立って、今まで僕らをバカにしてきた周りの人たちを見返してやること」のくだりで、当時19歳の大森って自分の音楽で周りの人間を、恐らく大嫌いだった“学校”のひとたちを見返してやるという気持ちで動いていた部分が大きいんだろうなと感じたんだよね
「高校生の間にメジャーデビューするのが目標だった」とも言ってて、実際最短ルートでそれを達成してるし
(※大森は中学で軽音部を作ろうとして教員たちからの猛反発に遭い断念して以降不登校で、高校は通信制のところに入ってその頃から音楽事務所に入って楽曲制作をしてる)
ミュージカル風なんだけど台詞は最小限でどちらかといえば装飾的な使われ方で、楽曲は既存の持ち曲なので、必ずしも登場人物のことばやストーリーを直接代弁するものではなく、楽曲が元々持つメッセージと歌唱・ダンス(ジャズとコンテンポラリー)・全体の演出を掛け合わせて場面を表現しているが、それぞれがかなり断片的で、余白が多いというか抽象的な公演だったのもあって、
「何らかのストーリーが展開されているけれどそのストーリーの全貌とそれが訴えるメッセージがわからない」ことに対するフラストレーションみたいなものも大きかったんじゃないかと思われる
もちろん考察好きな人たちは“考察”をやるんだけど…っていう