たとえばコロナ対策が政治としても民衆の自衛としてもほぼなされなくなったことは、我々の持つ「一度散々な目にあった(と認識している)ものからは徹底的に距離をとりたがる」という性質をよくあらわしているし、それは「3.11のことを思い出したくないから各種災害が生じているという事実から距離をとる(寄付やボランティアは迷惑になるから控えようという呼びかけによって何もしなくてもいいことの言い訳としてしまう)」とか「民主党政権には悪いイメージがついてるから距離をとる(現状維持=自民でいい)」とかとも通ずるもののように思える。目を逸らすことができないほどの「当事者」にならない限り、人は基本的に面倒なものごとには意識を向けないし、そもそもそんな問題などないのだということにしてしまう。「何もしない」ということの魅力はとても強い。たとえそれで自分が死ぬとしても。