『魔女狩りのヨーロッパ史』によると、魔女狩りの原因のひとつは、もともと民衆のあいだでも普遍的だった呪術を時代遅れなものとして忌避する意識が(社会情勢や天候不順などが呪術のせいとみなされることもあって)キリスト教社会で生まれたことにある、というようなことが書いてあったんですけど、これはキリスト教社会が自らを理性的な新しい宗教として認識し、対して呪術をそうではない旧宗教として位置付けた、とするならば宗教どうしの対立と捉えてしまうかもしれないけども、現代ではこれが「無宗教=理性的」「宗教=危険」という対立軸になっているだけで、やっていること自体は魔女狩りと同じなのではないか、と思います。
もちろん魔女狩りの原因は複層的だし、私の読解が間違えてるところもあるだろうけど、とにかく「無宗教=理性的」「宗教=危険」という認識だけはすぐにやめるべきですね。

iwanami.co.jp/book/b641568.htm

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危なくない宗教があるのは知ってる、でもあれは悪い宗教だから(排除されてよい)......という理論はまさに魔女狩りをしていた当人たちの認識なんじゃないかと思いますし、とにかく「宗教=理性的ではない」というような前提から離れる必要があると思います。理性の有無は、各々の信じる宗教や信仰の有無とは無関係なので。

信仰対象を持たない己のことを理性的であると思っているのなら、まずはその「なんらかの宗教と関係があるらしい者とは距離をとっておきたい」というような感覚を抱いてしまう己のことを疑うべきだと思いますね。あるいは、目の前の者がキリスト教信仰者なら大丈夫で、はじめて名前を聞く(マイナーな)宗教の信仰者だとちょっと不審に思ってしまう、その心象の違いについて、じっくり理性的に検討したほうがいいです。

さらに言うならば、理性/知性の有無と加害(可能性)の有無も結びつけるべきではないですよね。理性があっても加害は生じるし、理性がなくても害を生じさせないことはある。

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