スポーツはすぐにナショナリズムを醸成するし、ナショナリズムが醸成されてることを自覚するのも難しいので......。試合前には必ず国歌斉唱するし、日の丸掲げられてるし、国際試合ならユニフォームにも日の丸あるし、ゆえにすぐ「日の丸の誇り」とか言ってしまうし、それが全否定できない場でもあるからなおさら難しい。
野球なんかでも、いわゆる「助っ人外国人」という存在の扱いには気をつけなくてはならない。「純・国産打線」とか普通に言うので。そしてこれは円安などなどで「活躍するレベルの外国人選手が日本に来ない」状況にあることもあいまって、なおさら「日本人だけでいいだろ」みたいな空気にもなっている(ここで大事なのは、事実として「日本在住の選手のみのほうがチーム力が上がる(無理して金を積んで外国から引っ張ってきても活躍しない可能性が高い)」ということと、それをナショナリズムと結びつけてはならないということを、きちんと区別して考えなくてはならないということ。でもこの区別がつけられないくらいには、ナショナリズムはわかりにくく浸透している)。
この「助っ人」に対しては非常に矛盾した感覚をファンも球団も抱いている気がしていて、というのも、助っ人外国人には日本人以上の活躍を期待する(から給料も高く設定する)し、ゆえに期待しただけの活躍をしないと落胆したり罵倒したりするんだけど、だからといって期待している分だけ大切に扱っているかというとそうでもなく、むしろ「どうせ外国人助っ人なんてあてにならん、適応できなさそうならすぐクビ切ればいい」みたいな感覚も抱いている。ようするに「傭兵」としてしか見ていないわけなんですが。
それがスポーツビジネスだ、と言われてしまえばそれまでなのだけど、スポーツだからといって人権を蔑ろにしていい「特権」があるわけではないし、結局どこを見ても日本社会の縮図が見えてきてしまうのだな、というのがとりあえずのまとめ。そんなことを書きながら、私はこのあとマリーンズの最終試合を観るわけですが。