批判をするときに余計な要素を入れてはならない。クソメガネとか。そういうことをするから「レーシックしようかな(コンタクトに変えようかな)」みたいなギャグによる逃げが可能になってしまうし、場合によってはそのまま大喜利にもなってしまう。そして本題が忘れ去られる。さらに悪い場合には、その余計なものが差別を生むこともある。いずれにせよ、それは権力側の思う壺である。

権力側は理屈で攻められるのを嫌がる。理屈でこられたら勝ち目がないからだ(本質的に、権力とは理屈を無視して成立しているものではないだろうか)。ゆえに理屈ではないものへの逃げ道を常に探っている。議論の最中に批判者側が余計なものを投げ込んだとき、権力側がそれを逃さない。議論の主軸をそれにズラす。ズラして誤魔化す。誤魔化せば勝ちだからだ。

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権力側を腐したくなる気持ちは痛いほどわかるが、勝ちたいのであれば、その誘惑に負けてはならない。腐せば安易に勝利を手に入れられるかもしれないが、その勝利は本当に必要な勝利ではなく、結局は権力側の誤魔化しに加担するだけになってしまう。非道な権力に勝ちたいのならば、まずは己に勝たなくてはならない。他者を愚弄し痛めつけることで快楽を得る行為、すなわち安易な勝利は、まさに権力側こそが常にやっているものである。同じことをしてはならない。それではいつまでたっても「すでに権力を手にしている者」が勝つ。

どうしても腐したくてたまらなくなったときは、誰にも見せない紙のノートとかに書き殴ればいい。少なくとも、公開設定のSNSに投稿すべきではない。それらはすべて「弱み」として、権力側につけこまれる要素となる。なってしまう。

最後のトゥートに関しては不同意です。
相手を腐したい時は、素直にわたしは公開のSNSに発信します。
権力側がそれを監視されようが平気です。

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