だからSNSで公正などを求めてたたかっても逆効果なのかもしれない。でもだからといって「たたかっても意味ないんだからやめなよ」とは言いたくない。そこでたたかわなければ文字通り死んでしまう者がいるから。たたかわなくても生きていられる者がすべきことはそういうことではない。たたかわざるを得ない者がうまくたたかえる状況というものがあるのなら、それはいかにして構築することができるのだろうか、それを考え実践することなのではないか。
アミア・スリニヴァサンが『セックスする権利』のなかで次のように言っていることは、接続し得るかもしれない。
この基本方針——政治的な目的の手段として人びとを「ひどい目に遭わせ」ないこと——に含意されているのは、いま生きている人の生活をよくすることと、よりよい未来を目指すための主張を譲らないこと、そのどちらかを選ぶ際には、前者を選ばなければならないということだ。(223p)