あと、クィアに含まれていようがいなかろうがどちらにせよ、あらゆる存在は差別をされてはならないのであって、含まれていれば「守られるべき」で、含まれていなければ「守られなくてもいい」わけではない。○○だから差別から守られなくてはならないのではなく、あらゆる存在が差別から守られなくてはならない(ため、現状差別を受けている存在=クィアなどを守る必要がある)。
ここを履き違えると「弱者だから」→守らなくてはならないという、道徳的な考え方になってしまう。差別を受けている者は生まれながらにして&常に弱者なのではなく、構造や環境によって弱者に「させられている」。反差別とは「弱者にさせられる者を生みださない」ようにするための、全方位に向けた継続的な実践なのではないか。