あらゆる批判行為はその批判対象を慎重かつ厳密に定め、余計なものは巻き込まないようにしなくてはならないのだけど、残念ながらSNSでは余計なものを巻き込んだほうがウケてしまうので、それが正しいやりかた/主張になってしまいがち。でもそうやってなされた雑な批判と、その批判により成立した理論は、最終的には権力側=強者にこそ有利に働くものになってしまう。
さっきTwitterで「トランスヘイターもモンスタークレーマーも死滅したほうがいい」みたいなことを言ってる反差別の権威がいたので批判してきたんですけど、わかりやすい例なんじゃないかと。「死滅したほうがいい」なんてのは余計なものなんだけど、こういうのがウケてしまうので、気にせずやるようになる(本来批判すべきことは差別の「行為」であり、それをおこなう者の死滅を願うという「存在の否定」は余計なものですよね)。
そのうえ、この「死滅を願う=存在の否定」はまさに差別・ヘイトの本質であり、この言説/理論が正当なものとされてしまったら、最終的に勝つのは差別/ヘイトを意図的におこなう者になる。自分が同じ土俵に乗ってしまっていることに気がついただろうか。鍵アカウントになってしまったのでわからないが。
批判すべきものごとそのものだけに焦点を絞ること、それは実際のところかなり忍耐が必要なことなんだと思う。批判は基本的に、多くのものにとっては「わかりにくい」ものになりがちなので、なかなか効果が出ない。報われない。それが焦りになり、余計なものを巻き込んだ粗雑な批判をしてしまう。するとウケる。効果が出た気になる。