市川の言う国家のため的な意図はまったく同意できないが、つまり市川は本来的な意味での保守であり、ネトウヨ的な「愛国者」ではないのだろうけど、以前から主張しているバリアフリーのこととかこの記事にある正論読者でもあったこととかでもって「こいつは右だ/左だ(、だから敵だ)」だのと即断するのは愚かだし、そのことを皮肉る記事のように思える。これを読んで「市川は味方だ」と喜ぶ自称保守も、逆に「市川は敵だった」と切り捨てる左翼も、どちらも愚かだということ。「国家の危機だから」右も左も関係なく一丸となれ、というのはまったく同意できないが(大事なことなのでもう一度言う)。
https://www.sankei.com/article/20230823-XQXVKSUJ7VIVXAKVGIHLPHTFXA/
いずれにせよ、そのような皮肉を投下すれば愚かな者どうしが互いに「市川は味方だ/敵だ」と盛り上がり、市川の危惧する分断とやらは加速するだけなような気もする。でも、もはや市川的にはそれは分断ではないのかもしれないね。愚かな者どうしで愚かな即断をしあうという全体主義化、的な。そういう皮肉をぶん投げてきそうでおそろしい。ただ、それは冷笑の一種だと思うのでやはり私からすると「そういうのやめてくれない?」なんですが。
なんだろう。ニヒリズムの気配を感じる。愚かな者たちを見下しつつ発揮されるニヒリズム、のようなもの。敵だ味方だと騒ぎたてる愚かな者どもを手のひらで転がす、その快感を楽しんでいる感じ。そういうのはほんとうにやめてほしいのだが。