編集者を筆頭とした版元も、できた本を売る本屋も、勉強をしないからこういうことになる。勉強をしない編集者は自分の編集している本に書かれていることを理解できないし、勉強をしない本屋はネームバリューのある者が関わる本は無条件で信用して仕入れる。つまり、なんらかのきっかけで権威となった者の書く本は、たとえ中身が劣悪なものでも自動的に「よい本」になってしまう。もちろんそのきっかけも実力のみで得るものであるはずもなく、ツテやらコネやらがものをいうことのほうが多いとも言える。当然、編集者などの身内に批判されないままの著者もまた勉強をしなくなるので、愚鈍になっていく。
お抱え編集者が何人もいるようなベテラン著作家になればなるほど、先生だなんだと持ち上げられ、なにを書いても「流石です!」としか言われなくなる。それに居心地の悪さを感じられないまま愚鈍になっていく権威が、権威であるがゆえに新人/気鋭の論客とやらをその愚鈍な知性でもって推薦する。ゆえに愚鈍が増える。なお、前述の本では白井聡が「気鋭の政治学者」として紹介されている。すでに愚鈍のスパイラルに陥っている者ですら「気鋭」として紹介される地獄がそこにある。そこらじゅうにある。