バイト先のチェーン店に内田樹と白井聡の対談本が入荷してたからあとがきチェックしたら、内田が白井のことを「なんだかわからなくてもおかしいということが(直感的に)わかってしまう人なのだ」みたいな褒め方してて、そういう軽率さがトランス差別への加担になるんだ馬鹿かよ、と思いながら数段後ろに目をやったら、さらに内田が「そういう彼の姿勢は軽率と謗られるかもしれないが、それは彼のリスクをとるという覚悟なのだ」的なことを宣っていて、愚かが極まっていると思った。なにが知性の巨人だ。

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編集者を筆頭とした版元も、できた本を売る本屋も、勉強をしないからこういうことになる。勉強をしない編集者は自分の編集している本に書かれていることを理解できないし、勉強をしない本屋はネームバリューのある者が関わる本は無条件で信用して仕入れる。つまり、なんらかのきっかけで権威となった者の書く本は、たとえ中身が劣悪なものでも自動的に「よい本」になってしまう。もちろんそのきっかけも実力のみで得るものであるはずもなく、ツテやらコネやらがものをいうことのほうが多いとも言える。当然、編集者などの身内に批判されないままの著者もまた勉強をしなくなるので、愚鈍になっていく。

お抱え編集者が何人もいるようなベテラン著作家になればなるほど、先生だなんだと持ち上げられ、なにを書いても「流石です!」としか言われなくなる。それに居心地の悪さを感じられないまま愚鈍になっていく権威が、権威であるがゆえに新人/気鋭の論客とやらをその愚鈍な知性でもって推薦する。ゆえに愚鈍が増える。なお、前述の本では白井聡が「気鋭の政治学者」として紹介されている。すでに愚鈍のスパイラルに陥っている者ですら「気鋭」として紹介される地獄がそこにある。そこらじゅうにある。

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