Twitterが資本主義的なあれこれ(バズりとかインプレッションとか)を軸に動き出すことで、つまりそれはマジョリティに対して効率よく働きかけることが生存のための最良手となる世界線を作ることになったわけで、そしてその世界線のなかで人々が「正しく」振る舞った結果、Twitterは〈過激〉〈わかりやすさ〉〈自己責任論〉〈冷笑・嘲笑〉などが土台・基盤となるコミュニティになり、その結果としてマスクが登場した=買収しやすい環境になったのだと思う。
そう考えると、同様に資本主義的な側面を持つ、というかより強く資本主義的な世界線かもしれないMetaの提供するサービスに、しかも「Twitterに似ている」という理由で軽率に乗っかってしまうのは、結局同じ道を辿るだけなのではないか?と思ってしまう。使うべきではない、ということではない。Twitterと同じ使い方をしたらどうなるのか、その意識はあるのか?という話。