どんな創作物にも当てはまることだけど、悲劇的/衝撃的/印象的な描き方をすればそれで評価されてしまう、つまりそこになんらかの意味があり、受け手や社会に対して意義あるなにかをもたらしている、と捉えられてしまうのは、ほんとうによろしくないですよね。マイノリティは特にそう描かれがちで、作り手はそれでなにかを果たした気持ちになれちゃうし、受け手もなにかを得た気になれてしまう。ようは「材料にするな(それでも材料にするなら適切なやりかたをこれでもかと考え尽くせ)」ということなんですが、たぶんこういう「受け手にインパクトを与えましょう」的な作り方って、いろいろな創作の教科書に載ってしまっているんでしょうね。『創作ワークブック マイノリティ表象編』みたいな本を作るか......。
このワークブックが完成したあとは、ワークブックを活用する創作ゼミを開講し、そこで書いた小説や脚本やらを出版・撮影(上映)し、ポリコレに配慮するとおもろいもんは作れない、みたいな先入観を打破する流れを作っていこう。適切なマイノリティ表象がなされた創作物をマジョリティ(ここではシンプルに「多数」という意味)にしていこう。数でも質でも圧倒するぞ。みんなまだ死なないでくれ。