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論点のズレたリプやら引用やらはたくさん来ているのだけど、特に深い理由もなくこれに反論してみたらこんな感じの反応が来た。これが平均的な感覚なのか、ズレの大きい感覚なのかはわからない。いずれにせよ「推し」文化の危うさは垣間見れるし、その危うさの根本を解きほぐさないといかんな、と思う次第。この人に「馬鹿」だとか「無知」だとか言っても仕方がなく、なぜこのような思考回路になるのか、その背景を考えなくてはならない。

たとえばキンプリ騒動を見ていると「推しvs事務所」なのか「推しwith事務所」なのか、という構図がファンのなかにはあるように思える。当然、その立場の違いで脱退騒動に対するスタンスも違ってくるし、ファンどうしのバトルも見られる。正直言って「どっちでもいい」し「ジャニー喜多川の件まるっと無視しておいてバトることなのかい?」と思うが、ファンダムの「狭い世界」においてはこれが最重要課題であり、それ以外のことは完全に「ないこと」になる。ゆえに我々外野が考えるべきことは、なぜファンダムがその「狭い世界に入って(出れなくなって)しまうのか」についてなんだと思う。なぜそれほどまでに推しに縋らざるを得ないのか、依存せざるを得ないのか。この「狭い世界」にいる者に「なぜ批判しないのか」と言ったところでなにも伝わらない。その前段階にあるものを考える必要がある。

「狭い世界」にいる者にとって、この世界には推し(と事務所)と自分=ファンダムしか存在していない、ということか。それほどまでに依存せざるを得ない環境的要因があることは確かで、その観点から考えるとかれらもまた被害者となる(環境=社会が加害者)。推しに救いを求め「ざるを得ない」ということ、それは誰もがなりうる状況だし、そのこと自体を責めることは誰にもできない。

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