「よくないことをしてしまったらごめんなさいをする」というのは本当に些細なことのように思えるけど、それこそがこの社会をまっとうな社会たらしめていた根幹だったのだということを、私たちは後世に残す必要があるのだろう。

『1984年』も結局のところ「いかにして謝らずにすむか」の仕組みを構築することこそが独裁の肝なのだ、ということを描いているにすぎない。人は誰でも間違える、つまり「誤らない」ことは不可能なのだが、それを避けるために「謝らない」(でいい仕組みを作る)ことを為政者が選択した社会は、必然的に独裁となり、当然ディストピアと化す。そして最終的にはその社会も崩壊する。自らの誤りを正せない為政者が運営する社会はいずれ機能しなくなるからだ。

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私たち人間が間違えることから逃れられないいきものなのだとしたら、まっとうな社会は「誤り/過ちを認める」ところから構築される、ということなのかもしれない。

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