クリスマスぼっち的なあれで自虐ネタ投下して楽しんでるのはいいんだけど、それが結局は「弱者男性である俺」的な思考回路のもとになってしまうのだとしたら、あまりにも自業自得かつ他者への悪影響もあるわけで、ほんとそういうのやめようぜ、という感じ。異性愛規範も強化するし、恋愛しないやつやばい的な雰囲気も強化するし、SNSという世間で醸成される「恋人/友人いないのはやばい」的思考回路に加担しないためにも、その手のものは投稿しないし拡散もしない。ナウル共和国大使のツイートとか典型例だけど、救ってるつもりでじわじわ蝕む系の自虐(幇助)ネタ。

「ぼっちでも気にならない」と言ったところで「強がるなよ」に回収されてしまう、そういう空気感がすでに醸成されてしまっているので、その手の話題になった途端に例外なく自虐に走らないと乗り切れなくなる。それを繰り返していくうちにいつのまにか「強がるなよ」を言う側になったほうが楽であることに気づいてしまう。そうやってこの空気は強度を増す。自虐(幇助)ネタには触れない、数を増やさない。

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こういう空気感の中だとパートナーと過ごしていることすらネタ=消費されるものになる。たとえば私にはパートナーがいるが、今日明日とお店もあるし帰りが遅くなる可能性もあるため、特に何をするわけでもない(さっきレンチンの牛丼たべた)。しかしこの「レンチンの牛丼たべた」でさえ他者の目に触れた途端に「クリスマスに何もしないの、むしろ仲良しすぎるね(余裕だね)」みたいな捉え方をされ、異性愛規範やぼっち回避規範の下で羨ましがられる対象になる。その羨望は「羨望100%」であればまだいいが、自虐や卑下や嫉妬なんかが徐々に入ってくるのは避けられないので、そういう「褒め」が生じないようにしたい。しかし事実として牛丼は食べたわけで、その端的な事実すら外に出せないのは、やはり根本がおかしいのだ。

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