こういう空気感の中だとパートナーと過ごしていることすらネタ=消費されるものになる。たとえば私にはパートナーがいるが、今日明日とお店もあるし帰りが遅くなる可能性もあるため、特に何をするわけでもない(さっきレンチンの牛丼たべた)。しかしこの「レンチンの牛丼たべた」でさえ他者の目に触れた途端に「クリスマスに何もしないの、むしろ仲良しすぎるね(余裕だね)」みたいな捉え方をされ、異性愛規範やぼっち回避規範の下で羨ましがられる対象になる。その羨望は「羨望100%」であればまだいいが、自虐や卑下や嫉妬なんかが徐々に入ってくるのは避けられないので、そういう「褒め」が生じないようにしたい。しかし事実として牛丼は食べたわけで、その端的な事実すら外に出せないのは、やはり根本がおかしいのだ。