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「W'が商品資本として機能するために、W'はGに転化する必要がありますが、そのさい当の商品が「消費へと[資本の運動から]最終的に脱落すること」は、「時間的にも空間的にも、まったく分離されている」ことがありえます。
空間的な距たりも、時間的に踏みこえられる必要がありますから、この「時間という差異[Zeitdifferenz]」がW'―Gの過程を攪乱します。――循環が正常におわれるさいに「W’はその価値どおりに、しかものこらず売れなければならない」。
資本は、あまり長く商品資本のままでありつづけるなら使用価値をうしない、かくてまた商品でもなくなってしまいます。」 (熊野純彦『マルクス 資本論の哲学』岩波新書2018年)

人間の生の営みというのは「時間という差異」をつくりだす運動のことだ。それは資本の運動にとって攪乱的でもあり得る。

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