「しかし結果的にフロイトは、誘惑説、つまり大人の与える性的な心理的外傷が神経症の病因であるという説を捨て、幼児性欲説をとる。自分の中の父への攻撃性を認めたわけである。ここには決定的な「選択」がある。/フロイトは「主体」であることを選びとったのである。
父の罪をあげつらう子どもではなく、それをあえてかぶる大人としての自分を、である。」(内海健『さまよえる自己』筑摩選書2012年、p.120)
ここには受益の一方的な主体、損得勘定(パラノイア)の子どもから一方的に与えるものとしての大人への決定的な転換がある。