【近代的能動的主体という罠】
「シュレーバーの発病を決定づけた「子宝に恵まれない」「家系の断絶」という解決不能と思われた垂直方向の実存的危機が、
養子を迎える―それも、彼自身ではなく、妻が主体となって養子を迎える―というアクロバットによって奇跡的な解決をみたからではないだろうか。
ラカンのいう<父の名>の排除という欠陥は、ここではもはや補填されてしまっているかのようである。私たちは、次のように解釈したい―シュレーバーは、究極の「思い上がり」である神へと到達しようとする垂直方向の運動(および、ひとりの責任ある主体として再生しようとするための禁治産宣告取消訴訟)のなかでは治癒に到ることはなかったが、
むしろ垂直方向の運動を回避して、身近な他者が住まう水平方向へとずれることによって治癒に至ったのではないか、と。」(松本卓也「水平方向の精神病理学にむけて」atプラス30号、p.30-)